ふじかわ事業所日帰り旅行
4月23日(土)
ふじかわ事業所(ふじかわどりいむ・ふじかわどりいむ ながさわ)令和4年度日帰り旅行
20年勤続 ともろうらんど市川葉子副所長
去る3月27日身延事業所において令和4年度年度初めの式が行われた。永年勤続表彰受賞は、20年勤続が南アルプス事業所ともろうらんどの市川葉子副所長、10年勤続表彰受賞は同じく南アルプス事業所ともろうなんでも相談室の保坂昇主任、ふじかわ事業所ふじかわどりいむ ながさわの河西春香支援員、身延事業所かじか寮の佐野伸幸リハビリ担当支援員、石川賢一支援員、かじかキッチンの佐々木美千世調理員でした。
昇任 身延事業所かじか寮
佐野伸幸リハビリ担当支援員 同リーダー 支援員
小沼幸和支援員 同リーダー支援員
塩沢和代支援員 同リーダー支援員兼
ラ・ピエーノⅣ管理者
異動 遠藤瑞穂生き生き村管理者
ふじかわどりいむ管理者
有泉けい子ふじかわどりいむ管理者
いきいき村管理者兼ラ・ピエーノⅣ世話人
夜中の雪かきに感謝
はや立春も過ぎ
身延山山頂初登山
富士山と初日の出 平林は零下9℃!
サンタ大忙し!
ふじかわ事業所で恒例のイルミネーション点灯、テーマは葛飾北斎の甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)(12月4日)
晩秋の山道は黄金色に輝く
共生型短期入所(高齢者のショートステイ)
深敬園ではすでに南アルプス事業所(ともろうらんど)において共生型短期入所事業を行っておりますが、この11月1日より身延事業所(かじか寮)においても共生型短期入所事業を行うことになりました。定員は6名です。ご利用を希望される高齢者の皆様は利用契約をしていただきますようお願いいたします。
身延事業所納涼祭(2021.7.31)
新型コロナ感染症の蔓延により各地で開催されるはずだった行事が軒並み中止なり出かけることもままなrない日常です。施設に入所している利用者の皆さんのストレスも限界に来ている状況を考えs昨年同様内々で納涼祭を実施しました。白鳥太鼓の参加を頂き、夕食は利用者の皆さん一人ひとりがメニューの中から自由に選んでいただきました。締めくくりに例年の規模で花火を見物して真夏の夜のひとときを共に楽しむことが出来ました。
新型コロナウイルスワクチン2回目接種済みました
第1回目を接種してから3週間目の7月18日同じ時間帯、同じ接種会場で2回目の接種を受けました。2回目は1回目より腕が痛いと聞いていましたが、1回目とほとんど変わらない症状で安心しました。その後法人の職員の接種も進んでいるようですが症状は様々のようです。おかげさまで施設の利用者さん職員も福祉関係者ということで一般の人達より早期に接種していただき有り難いと思っています。
やはり大都市の人口が多いところは感染者も増えてきていて、特に若い世代の感染者が多いようです。人は日常の行動を制限されるとストレスがたまり苦痛を感じる者です。如何に耐えるか。人それぞれに生き方が問われるところです。集団免疫が達成されるのが摂取率7割といわれています。高齢者優先で接種が進んでいるので若年層まで行き渡るのにかなり時間を要すると思います。ここが我慢のしどころです。日常生活をどのように工夫するか。個人の能力が問われるところです。
任期満了に伴う評議員・理事・監事の改選
去る6月13日書面表決により下記の各氏が選任されました。
評議員 羽賀茂次(身延町)・望月忠隆(身延町)・田中一泰(身延町)・鈴木高吉(身延町)・椎名龍洋(神奈川県)・望月和永(身延町)・滝戸勇二(南部町)
理 事 中里悠光・市川富士美(かじか寮寮長)・竹之内厚子(かじかナースステーション所長)・中里敬子(Bread&Butter施設長)・遠藤瑞穂(富士川事業所エリアマネージャー)・市川葉子
(ともろうらんど副所長)
監 事 一宮嘉孝(身延町)・佐野治雄(身延町)
第1回6月27日(日)、第2回7月18日(日)8:30A.M富士川町町民会館でワクチン接種予約
高齢者へのワクチン接種始まる
かじか寮の65歳以上の利用者さんのワクチン接種がこの木曜日に行われた。特に目立った身体の不調を訴える人もなくホッとしている。自治体によって時期に差がでているようだが何に起因するのか。接種予約のお知らせが来たものの予約希望者が殺到して電話が繋がらないとか話題に事欠かない。「もうワクチン打ちましたか?」挨拶代わりのやりとりになっている。
さて、こんな状況は物不足に陥った時必ず起こる現象。正直言ってうんざりする。人とはかくもさもしくなるものか。石油ショックの時のトイレットペーパー買い占め騒動。コロナ感染が始まった時のマスク買い占め騒動。開店1時間前だというのにサンロードの前は長蛇の列。それが今やこれでもかというほどあらゆるお店にマスクがあふれている。物不足に陥った時人の本性が現れる。他を顧みず我先にと右往左往する姿はその人の生き方そのものでもあるようにも思われる。これも新聞報道によるが、どこかの自治体の長がどさくさに紛れて優先的にワクチンを接種したとか。船長は難破した船から最後に下りるという話は教訓にはなっていないらしい。住民を置き去りにして真っ先にワクチンを打つ。滑稽を通り越して哀れですらある。幸いにしてか不幸にしてか78歳、後期高齢者のそれがしにはまだ何の連絡もない。まあ、連絡があったとしても騒ぎが落ち着くまではじっと待機だ。幸いにして人里離れた山奥に住むこの身に差し迫った危険はないと思っている。なんの確証もないが。悠々自適と生きる毎日である。
ワクチン接種希望者殺到か
77歳の理事長にも町からワクチン接種の予約のお知らせが届いた。電話をしたところなかなか繋がらない。我先にと予約電話をする高齢者が殺到か。LINEアプリを取り込んで富士川町とお友達になればLINEでも予約できますよ書いてあるものの悲しいかな予約に至らず諦めた。まっ、いいか。慌てる・・・はなんとかというではないか。いずれワクチンが余って希望すればいつでも接種できる状態になることは間違いないのだから。各自治体が接種率を競うことになればあらゆる手段を講じて接種を促すようになるだろう。アメリカでは賞金や賞品をつけて接種を呼びかけている。いずれ我が国も景品くらいは出るようになるかもしれない。
令和3年4月の給与からスマホに配信
深敬園はこの4月分の給与(月末締め翌月10日払い)から給与明細を各職員のスマホあるいはパソコンに配信することにした。個人のIDとパスワードを設定すれば自分の給与明細がわかる仕組みである。社会の流れはペーパーレス化が進み否応なく従わざるを得ない状況になって来ている。いずれはスマホ自体に給与が振り込まれることになるだろう。
自治体からの連絡事項もほとんどがメールで届くようになった。出勤したら先ずメールを開く。知らなかったでは済まされない。知らないことで不利益を被る結果になる。法人各事業所の管理者は電子化について行かざるを得ない時代になってきている。
法人はすでに数年前から着信Faxは自動プリントではなくパソコンに貯めて必要なもののみプリントアウトしている。今年度からFaxによる発信をすべてメールに切り替える準備をしている。見積書、発注書、請け書もすべてメールでやりとりし、領収書、レシート等もスキャナーでパソコンに取り込み、伝票類は会計ソフトと連動化して整理することでペーパーレス化は一気に進む。
利用者の個人台帳も、介護、看護日誌類もパソコンで管理する。いずれすべての書類が電子化されることになるだろう。メールでのやりとりが常態化すればいずれ固定電話は必要なくなり電話番もいらなくなる。今でも事務所を留守にする訪問型の事業はLINEでのやりとりが多いようでいち早く固定電話から脱却すると思われる。
コロナ禍の過ごし方
深敬園の職員はほぼ全員毎月ノートを理事長に提出している。特に内容を問わず職員それぞれのスタイルで日頃の思いを書いて下さっている。最近のノートの内容は時節柄新型コロナ感染を危惧すろものが多い。未だかつてない日常生活への不安。ウイルスは目に見えないが故にその不安は計り知れない。これまで余りに自由気ままに日常を送ってきただけにいつ果てるともわからない状況に戸惑っている声が多い。
第4波が猛威を振るいはじめたとの報道が続く。そしてようやくワクチン接種の知らせが自治体から高齢者の手元に届くようになった。しかし予約電話はなかなか繋がらず困惑している高齢者。こういう状況にあっては物事を冷静に考える習慣が必要である。慌てても決していいことはない。お先にどうぞ私は最後でもいいですよ。そのくらいの心の余裕を皆が持てば混乱は起こらず。接種もスムーズに進むと思う。
10年勤続表彰に4名の職員
昇 任
ふじかわ事業所エリアマネージャー:福祉ネットスマイル副所長・ラ・ピエーノⅤ所長遠藤瑞穂
かじか寮支援課長:かじか寮主任支援員大原照美
福祉ネットスマイル事業管理者・主任支援員:福祉ネットスマイルリーダー支援員宮澤紳
ラ・ピエーノⅢ事業管理者(兼任)・主任支援員:ふじかわどりいむ ながさわ事業管理者藤原啓
ふじかわキッズ事業管理者・児童発達障害支援管理責任者:ふじかわキッズ支援員中込文子
かじか寮入浴担当チーフ:かじか寮入浴担当職員松永みどり
身延山のしだれ桜満開
鉢植えの旭山桜
庭の河津桜に蕾が!
雪が降っても奥の院登山!
小寒から1週間が過ぎた12日、今年になって初めての雪が降りました。ここのところ晴天が続き飲料水の心配もしていた時期でしたので雪は恵みです。そして山登りも強行です。普通でしたら雪が降ってきたから今日は止めるか!ってところですが、これまで雨が降っても台風でも雪が降っても登って来たので別に躊躇しません。日本海側で豪雪に苦労されている方々に申し訳ありあせんが雪の少ない地域に暮らす私たちにとってはむしろ降雪はありがたいことです。特に身延の施設は湧水を使用しているので常に飲料水には気を遣っています。そして雪の日に無理してでも登るのは雪の景色に出会えるからです。1年に50回ほど登りますが雪に出会える日は滅多にありません。だからとても貴重に思えます。ものは考えようですね。どんな苦難も好機と捉える心が培われて来た人生に感謝をしながら歩いています。
元朝のご来光
ここ数日平林(ひらばやし)はとびっきりの寒さが居座っていました。元朝のご来光はきっと素晴らしいに違いないと期待して大晦日なのに8時には床につくいつもの習慣を守る几帳面さは相変わらずです。永年僧侶をやって来た習慣は住まう地が代わっても崩れません。これも一人住まいの気軽さかもしれません。いつものように午前4時30分に起床し1時間の朝勤(ちょうごん:朝の勤行)を済ませ朝食の準備に1時間。リビングの室温は0℃、温風ヒーターに点火してもなかなか5℃以上にはなりません。ここが平林の凄いところです。この寒さに耐えられないとこの地には住めません。6時30分にテーブルに着くと東の空が明るくなり始めます。元朝ですので10台ほどの車が路肩に止まって日の出を待ってます。外の寒さは尋常ではないはず。星降る夜空と富士の姿の素晴らしさに魅せられ大枚をはたいて手に入れた終の棲家(ついのすみか)。この地で死ねれば本望とまで気の入れようは、桜の根元に埋めて欲しいと遺言めいたことも口走るほど。
さて富士山の左側の山の頂が光り出しやがて太陽が顔を出す。この至福の一瞬のために寒空の下何時間も待ち続ける。
この地点から見る富士山の景色が如何に素晴らしいか。2~3台の車の主(ぬし)が1年中三脚を据えて日の出の富士を待ち構えている。そんな小生も毎朝カメラを構えるが成果はいまいちである。
今年最後の登山を無事終えました!
今年の1月1日に301回を数えた身延山奥之院登山も師走の29日に最後の登山となりました。珍しく10名ほどの若者のグループに出会いました。山で出会えば挨拶を交わすのが当たり前だと思っていましたが、最近はすれ違っても無言で通り過ぎる人の方が多くてなんとなく寂しい思いをしていましたが、この若者達は笑顔で大変ですねとねぎらいの言葉をかけてくれました。久しぶりにすっきりとした気持ちで登山を終えることが出来、思い出に残る登山となりました。
週1回のとざんですから1年で約50回、毎週欠かさず登るには心身共に健やかでなければなりません。下りて来る時には足を引きずるように疲れますが、不思議なもので温かいお風呂に入ると回復します。また翌週になると登ろうと思います。おかげさまで健康で新しい年を迎えることが出来そうです。
理事長サンタ稼ぎ時!
毎年理事長は12月になるとひときわ忙しくなります。そうです!クリスマス会が各事業所で開かれサンタクロース役を仰せつかるからです。何年もやっているとサンタクロース姿が様になってくるから本人もこのシーズンを心待ちにしているようです。先日もサンタクロース姿でシャトレーゼにクリスマスケーキを取りに行くと店員さんも一瞬ギョッとしたようでしたが後は笑いをこらえていましたね。子供は寄ってきますよ。
私たちの生活にとって季節季節の行事はとても大切なものです。遊び心がないと息が詰まってしまいます。行事担当の職員さんは日常のお仕事をしながらイベントの準備もしなければなりません。準備の段階から楽しむことが出来るようになるといいですね。深敬園の職員さんは全員が楽しみながら行事に携わっていいるように見えます。クリスマスが終わるとお餅つき、年越し蕎麦と年末の行事が続きます。本当にご苦労さまです。
ゆず湯とかぼちゃ
1年で昼が最も短く夜が最も長い頃です。古くは冬至が1年の始まりだったとの説にも頷(うなず)けます。今日からは昼が少しずつ長くなると思うとウキウキしませんか?目には見えませんが地の下でも、葉をすっかり落とした木々も春に向けて準備を始めています。「冬来たりなば春遠からじ」古人は冬の到来をこのように前向きな気持ちで受け止めていたんですね。
Ludwig van Beethoven(ルート ヴィヒ・ ヴァン・ベートーヴェン )
12月に入るとベートーヴェンの交響曲第九番を聴くようになって久しい。年の瀬も押し詰まるとサントリーホールや川崎ミュージアムに生の演奏を聴きに行くことが恒例になっているが今年は新型コロナウイルスの感染拡大もあって断腸の思いで見合わせた。本来であれば今年は生誕250周年に当たる記念すべき年、盛大に行われたであろう記念音楽会に行けず残念である。
第九のCDを3枚持っている。1枚目はウイルヘルム・フルトベングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団及び合唱団、2枚目はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ニューヨークフィルハーモニー交響楽団、3枚目は小澤征爾指揮NHK交響楽団のものである。3枚を代わる代わる聞いているが同じ第九でも指揮者、楽団によって違うことがわかる。指揮者が第九をどのように解釈し、交響楽団の演奏者一人ひとりにどのように演奏するかを要求しているか。音楽会で聴く音楽が出来上がるまでの練習がどのくらいの時間をかけて行われるのか想像するのも音楽の醍醐味であるように思われる。
堀内晴美議員の一般質問の感想
法人の職員が平林集落に越して来て住まっている。先日その職員から平林地区に太陽光パネルの設置が計画されていること。付近住民が生活に支障を来すと町に問いただしたところすでに計画は町が受け入れてしまっているのでどうしようもないとの当局の返答があったとのこと。議会における堀内議員と答弁に立った担当課長のやりとりを聞きながらいくつかの疑問点が生じた。
1 富士川町において平林地区の景観は後生に残すべき貴重な財産ではないのか。
平林の高台から見る富士山は他に類を見ないほどの絶景である。この寒さの中、毎朝暗いうちから富士山の日の出の光景を撮ろうと数台の車が止まっている。ほぼ1年を通して撮影をしている姿を見ると頭の下がる思いである。このような光景が毎朝繰り広げられていることを町長をはじめ町の職員はご存知だろうか。これほどの絶景はいくら金を積んでも購(あがな)えるものではない。他所から来た者にとっては垂涎(すいぜん)の的である。
案外と地元の住民にとっては当たり前の光景であるがために貴重な財産だという認識がないのかもしれない。
2 景観条例はなんのためにあるのか。
条例がどのようないきさつ制定されかはわからないが、条例の趣旨からすると恐らく後世に残すべき財産としての景観を保全することが目的であるはずである。
太陽光パネルが設置されることで平林の景観が著しく損なわれる事態を引き起こすという認識が地域住民の中にないとしたらとても残念である。もしあるとしたら町に対して強硬に反対の意思表示をすべきである。
3 太陽光パネルを設置する場所が個人の土地であるから町としてもどうにもならないとの担当課長の答弁は景観条例の意図するところを十分に理解してないか敢えて避けているとしか思えない。
4 太陽光パネルの設置場所の周りには人家があり生活環境が著しく損なわれる恐れがあるとの指摘がある。町は県外の太陽光パネル設置業者と住民の生活環境を守ることのいずれを優先するのか。
5 仮に太陽光パネルの設置場所近くに担当課長の家があったとしたらどのような対応をするのか。(続く)
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小雪(しょうせつ) 次候 朔風(さくふう)葉を払う
気がつくと鮮やかな黄色を誇っていた銀杏並木も冬支度を済ませ春に向かって着々と準備を始めたようです。葉が落ちるということは新しい芽が出てくる予兆です。葉を落とすことで蒸散作用を減らし寒さから身を守るのでしょう。自然界は凄いですね。それに引き換え人間は何と弱い生き物なんでしょう。エアコンで部屋を暖め寒さから逃れようとしています。自然環境に適応しようとしない種はいつか滅びます。昨日の日経新聞ではじめて「ブラックエレファント」という言葉に出会いました。いつかは起きることが明白な問題を放置し、大きな被害が起こってしまう事態を指すのだそうです。地球温暖化、原子力発電によって生ずる放射性物質の処理問題等々次世代に先送りしている問題が山積しています。卑近な例では、地方の過疎化、高齢化社会がこれに当たります。
参道の銀杏の葉の絨毯!
身延山山頂奥之院に登りはじめて5年の歳月が流れ、350回を数えるに至った。最近では往復5時間を要するまで体力が衰えてしまった。最初は杖なしで上れたが今では両手でストックをつかないと上り下りが出来なくなってしまった。でも、負け惜しみではないが己の体力の衰えを受け入れることも大切である。遠からず歩くことさえ出来なくなる日が来ることは避けられない現実である。最近はガラス戸に写った背中が曲がりうつむき加減で歩く己の姿を見て心が沈むことがある。また車での通りすがりに背中ばかりか腰まで曲がったお年寄りを見て己の姿に置き換える。
話が横道へそれてしまいました。301回からの50回は好天気に恵まれたように思う。雨の日も雪の日もあったがそれほどひどくはなかった。351回からは余り無理をしないで歩けることに感謝をし、参道の四季の移り変わりを楽しみながら上り下りをしようと思う。
竹笋生ず(たけのこしょうず)
立夏もはや末候。山梨県はコロナウイルの緊急事態宣言が解除され、個人に支給される給付金の申請用紙が郵送され始めた。そしてその給金をかすめ取ろうと様々な手口を使って詐欺が横行し始めた。なんとも世知辛い世の中になったものである。パチンコ屋の駐車場にも車が増え始めている。明日の生活にも困窮する人たちへの給付金がパチンコに消えていくと思うと思いは複雑である。緊急事態であるからやむを得ないとはいえ、現金を配ることでしか困窮する人たちを救う手立てはないのか。電気料、水道料、ガス料金といった生活に不可欠な光熱水費を一定期間無料にするといったことも考えられるのではないか。現金給付は過去にもあった。緊急事態が生じた場合は国民をどのようにして救うか、予め決めておくことが必要である。
麦秋至る(ばくしゅういたる)
梅子黄なり(うめのみきなり)
関東も梅雨に入り、今日は午後から雨が降っている。田植えの終わった田では夜ともなると蛙の鳴き声がかまびすしく、いずこから湧き出たかと思うほど突然田を賑わす。芒とは稲の穂先の芒(のぎ)を言い、6月は稲の種を蒔く時期に当たる。田畑の作業も機械化され、昔ながらの田植えの光景も見られなくなって久しい。
今では5月に入ると田植えが始まるが、私が子供の頃(60数年前)は、6月に入ってから田植えが行われていた。田掻きは馬が担った。母屋の脇には馬小屋がありほとんど田かきのためにだけ馬が飼われていた。時に、青年が裸馬の背に乗って農道をゆったりとした足取りで散歩する姿を畏敬の念を持って眺めた。その青年も80過ぎの老人となり、田植え機に乗って苗を植えている姿を目にすると隔世の感がする。農家は稲作を中心に1年が回っていた。5月に苗代を作り種を蒔く、しばらくすると水路に水の流れる音がする。6月に入るといよいよ馬による田掻きが行われ、干し草を肥料として敷き込む。化学肥料など使わず、土手の草を予め苅って束ねて干しておく。里山には草刈場と称する原野があり、田植えに使う草を育てていた。無論、農薬など使わない。無農薬有機栽培が当り前の時代であった。田植えが終わると蛙が一斉に鳴き、しばらくすると蛍が乱舞する。長閑な農村風景そのものである。わざわざ蛍を見に行かなくても日が暮れると当たり前のように庭先に蛍が飛ぶ。
そんな長閑な農村風景を高度経済成長期が奪って久しい。農村を捨てて都会に憧れ職を求めた結果、農業に担い手が高齢になり、老夫婦、独居老人が寂しい思いをしながら暮らしている。豊かな生活を求めて都会に出て行った若者は果たして豊かな生活を手にしただろうか。豊かな生活とはどんな生活なんだろう。田舎では豊かな生活は送れないのだろうか。新型コロナウイルスの流行を機に豊かな生活とは、豊かな人生とは・・・外出制限が行われ、家で過ごす時間が増えたいまじっくり考える良い機会ではないかとと思う。
半夏生(はんげしょう)ず
夏至から数えて11日目が半夏生。田植えの終わった田圃も稲がすくすくと育ち始め眼前には青々とした光景が広がります。ここ2日程は雨続き。私の子供の頃は農休みと称して農家が田植えを手伝ってくれた人たちにご馳走する風習がありました。子供たちにとっても普段口に出来ないご馳走が食べられる楽しみな農休みでした。
そんな光景も見られなくなって久しい。効率を優先する社会になってしまって、互いに助け合う風習も今は昔。
しかし、農は人が生きる上でなくてはならない仕事。コロナ禍は生き方を変える絶好の好機だと思う。殺伐とした都会を離れ、故郷がある人たちが農村のに回帰することで廃れた農村が蘇る。ゆったりとした人生を送る。決してあり得ない話ではない。田舎に帰っても勤め先がないということをよく耳にするがそんなことはない。田舎は人手不足である。きっとあなたが腕を振るう仕事はあるはず。このブログを読んで下さった方は下記にご連絡ください。
0556-62-1134 社会福祉法人 深敬園(じんきょうえん)
小暑(しょうしょ)次候 蓮(はす)始めて開く
今日、7月16日は小暑の次候の最後の日に当たる。昨日までの梅雨空が嘘のようにカラッと晴れた1日でした。庭の蓮の華はまだ開きませんが、昨年蒔いた向日葵が背の高さを超しお日様に向かって笑顔を振りまいています。まだ梅雨明けが来そうもありませんが暦はもうすぐ暑い暑い大暑です。草が瞬く間に伸びてうっかりしていると野菜が埋もれてしまいます。
立秋初侯 涼風至る(りょうふういたる)
長かった梅雨もようやく明けたと思ったら、大暑(たいしょ)について書く暇もなく秋が来てしまいました。そうはいってもここのところの日中の猛暑には辟易しますね。そんな中で先日はじめて蝉の声を聞きました。長い間土の中で暮らし、ようやく表に出て一週間の命の蝉は全身で思い切り夏を謳歌しています。私たちも積極的に自然に触れる機会を作らないと心が荒(すさ)びますよ!蝉に負けないように全身で毎日を生きましょう。
お盆
多分全国的には8月13日~16日がお盆の時期に当たると思います。お盆は正式には盂蘭盆会と言いインドのサンスクリット語の「ウラバンナ」が語源と言われています。本来はお盆と先祖供養は全く関係がなく中国、朝鮮半島を経て日本に伝来する間に民間信仰と結びついて現在のような形になったと思われます。
今の日本社会は急速に高齢化が進み、田舎を捨てた世代が高齢化したため過疎の故郷(ふるさと)のお墓の継承が問題になっています。この世代は誰彼(だれかれ)なく職を求めて都会を目指し、マイホームを手にするためにローンを組み、返済が終わる頃には大切な我が家も老朽化して子供たちは巣立ち、自分たちが両親にしたように打ち捨てられて老いているのが現状です。子供たちが小さい頃はお盆、正月に帰省しても大人になれば曾祖父を思う気持ちも薄れ次第に墓は忘れ去られ草むらの中に朽ちています。これが今の日本の現状です。
先祖をないがしろにする家族が繁栄するはずはないと思います。お盆を迎えるにあたり、今いち度人生をどう生きるかじっくり考える機会にして欲しいと思います。本当に墓参りをする暇(いとま)がないほど多忙なのか。心を病む人が増えている原因のひとつに先祖を思う心、年寄りを想う心の欠如が考えられます。コロナ禍でを憂えることも大切ですが、お金では購(あがな)うことの出来ない大切なことが沢山あることに気づいて欲しいものです。
処暑 末候:禾乃登る(こくものみのる)
つい先日田植えが終わったばかりだと思っていたらいつの間にか稲穂が出そろい頭を垂れてきました。暑い暑いと言いながらも時の流れは速く、はや季節は処暑も末候を迎え朝夕の風は秋を感じさせます。庭の向日葵も頭を垂れ秋桜(コスモス)が咲き始めました。昨年蒔いたひまわりの種がこぼれ、今年はたくさんの花が目を楽しませてくれました。花が終わったので抜こうとしたところ茎の太さが小児の腕くらいあり、とても堅く鎌では刈り取れないほどのものもあります。仕方なく放っておくと、ある雨上がりの朝10羽ほどの小鳥(名前がわかりません)一斉に飛来し花をつつき始めました。そうです種を食べているんです。植物を育てることは心を豊かにしてくれます。若芽がが出てくると成長してどんな花が咲くかと心躍らせ、花を愛で、花に集まる蝶や蜂の動きに時の経つのを忘れ、花が終わるとどこからともなく訪れる小鳥の姿に心洗われるひとときを過ごす日々です。歳を重ねると言うことはこういうことなんだと思いながら生きています。
この30日で77歳になります。喜寿(本来は数え年なので昨年でしたが)を迎えることが出来るなどと思いもよらず、唯ひたすら夢中で人生を走ってきたように思います。人は何処(いずこ)より来て、何処に帰るのか。永遠の謎であります。人はお役目を背負ってこの世に使わされ、お役目が終わったらこの世を去るんだと思っています。朝目が覚めると、今日も生かされていることを思い、お役目を果たすべく動きます。仕事を終えると今日一日無事に過ごせたことに感謝しながら眠りにつきます。
櫛形山のハイキング(2020/11/23)
櫛形山からアルプスを見ようという企画に誘われて事業所の利用者さん職員さんと一緒に北岳展望台までハイキングしてきました。好天に恵まれた絶好のハイキング日和。4台の車に分乗して延々と走ること1時間。池の茶屋駐車場から徒歩で約30分利用者さんの体力を考慮した程よいコースでした。コロナ禍で閉じこもりがちな昨今、家族、友達を誘って気軽に出かけられるハイキング。櫛形山を見上げる場所に住んでいる私たちはとても楽しい一時を共有することが出来たと思います。もっともっと自然の財産を身近なものにすることで豊かな日常を過ごすことが出来る貴重な体験でした・
北岳は昨年登っただけに思い入れもひとしおです。遙かな山頂を仰ぎ見ながら北岳登山の思い出にひとり浸って幸せなひとときを過ごすことが出来ました。企画をして下さった職員さんに感謝です。展望台でいただいたおにぎりの美味しかったこと。早朝から参加者のためにお弁当作りに携わって下さった職員さんありがとうございました。コンビニで買えば簡単だけど、やっぱりコンビニはコンビニ。手作りのお弁当に勝るものはありませんね。(写真は北岳を背景に全員で)
十五夜(旧暦の8月15日)
今日、10月Ⅰ日は旧暦で言うと8月15日に当たり十五夜である。月齢からすると明日が満月になる。暑かった夏もはや過ぎ、夜は暖房が欲しいくらいの季節になってしまいました。平安の頃より月を愛でる風習は人々の日常生活に溶け込み、和歌にも多く詠まれています。月の呼び名も十五夜を中心に13日は十三夜(じゅうさんや)、14日は小望月(こもちづき)、16日は十六夜(いざよい)、17日は立待月(たちまちづき)、18日は居待月(いまちづき)、19日は寝待月(ねまちづき)、20日は更待月(ふけまちづき)と一夜一夜に名前をつけて月の満ち欠けを楽しんだと思われます。ともすると忙しい忙しいと(本当に忙しいのか疑わしいもんですが)空を見上げ月を観る風流すら失ってしまった昨今、コロナ禍を機会に真に大切なものは何か考える十五夜にして欲しいと思います。(正面に富士山が見えます)
寒露(かんろ)
山梨県に台風が接近するという天気予報が出され、木、金、土と3日間雨が降り続いた。今日は晴耕雨読の雨読の1日。音楽を聴きながら日がな一日読書に耽る。贅沢な1日である。雨が降らなければ外に出てあちらこちらと動き回るが、休日に一日中雨が降ることなど滅多にないが、雨が降ったら1日をどう過ごすか。これは仕事をリタイヤした時、長い1日をどう過ごすかという事態に通ずる。定年がある身であるならば定年後どのように過ごすか。定年を迎えてから考えるんでは時遅しである。遅くとも60歳を迎えたらその時に備えて心構えをしておくべきだと思う。
奇しくもコロナ禍の最中、行動半径を制限された日常生活を如何に過ごすか問われる事態に直面している。職場に来なくていいと言われたらどうするか。こんなことを経験したことがない私たちは途方に暮れてしまう。働く場所があるということがこんなにありがたいことかと思うはずである。
夕方5時本を読んでいるといつもなら夕闇が迫るはずの時刻に急に辺りが明るくなった。慌てて表に出て写真を撮った。言葉では表すことの出来ない光景を目の当たりにして感動する。貴重なひとときであった。
満天星(まんてんせい)
月が改まり霜月朔日である。今年は冬が早く訪れた感がする。朝夕の寒さが身にしみるのは高齢のせいばかりではないことは会う人ごとに「寒いですね」の挨拶を交わすことからもうかがわれる。平林は青柳町に比べると気温差が10℃ある。今朝の気温もすでに10℃を下回っている。寒さが厳しくなったために周りの木々が急速に紅葉して、街路樹の満天星の葉の紅(くれな)いが目を楽しませてくれる。このあたりはとても空が広く朝の3時頃は満天の星を堪能することが出来る。件(くだん)の灯台躑躅(どだんつつじ)を植樹する時、この地区の人達が満天の星が見えることに因(ちな)んでこの木を植えたと思われる。恥ずかしながら不明にしてこの歳になるまで灯台躑躅の異名が満天星であることを知らなかった。おそらくこの地に住まうようにならなければ生涯知らずに終わってしまったと思う。
まだ立冬(11月7日)には間があるが、しばらくの間は道を通るたびに目を楽しませてくれる満天星、植樹した人に感謝である。