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社会福祉法人 深敬園
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山梨県南巨摩郡身延町身延3637
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寒露(かんろ)

令和2年10月10日(土) 

竹笋生ず(たけのこしょうず)

 立夏もはや末候。山梨県はコロナウイルの緊急事態宣言が解除され、個人に支給される給付金の申請用紙が郵送され始めた。そしてその給金をかすめ取ろうと様々な手口を使って詐欺が横行し始めた。なんとも世知辛い世の中になったものである。パチンコ屋の駐車場にも車が増え始めている。明日の生活にも困窮する人たちへの給付金がパチンコに消えていくと思うと思いは複雑である。緊急事態であるからやむを得ないとはいえ、現金を配ることでしか困窮する人たちを救う手立てはないのか。電気料、水道料、ガス料金といった生活に不可欠な光熱水費を一定期間無料にするといったことも考えられるのではないか。現金給付は過去にもあった。緊急事態が生じた場合は国民をどのようにして救うか、予め決めておくことが必要である。

麦秋至る(ばくしゅういたる)

 6月1日は小満の末候に当たる。小満は自然界のあらゆる命がしだいに満ちてくる季節。草も木も緑を増し、生き生きと輝き始めます。小生も猫の額ほどの畑に昨秋小麦の種を蒔きました。収穫して小麦粉を食べようなど思って蒔いたわけではありません。麦の穂を生け花に使ったり、稔った小麦の種を鳥が食べに来ると嬉しいといった小さな感動を味わいたいと思ったもので、人様から見たらご苦労なしでしかありません。

梅子黄なり(うめのみきなり)

 関東も梅雨に入り、今日は午後から雨が降っている。田植えの終わった田では夜ともなると蛙の鳴き声がかまびすしく、いずこから湧き出たかと思うほど突然田を賑わす。芒とは稲の穂先の芒(のぎ)を言い、6月は稲の種を蒔く時期に当たる。田畑の作業も機械化され、昔ながらの田植えの光景も見られなくなって久しい。
 今では5月に入ると田植えが始まるが、私が子供の頃(60数年前)は、6月に入ってから田植えが行われていた。田掻きは馬が担った。母屋の脇には馬小屋がありほとんど田かきのためにだけ馬が飼われていた。時に、青年が裸馬の背に乗って農道をゆったりとした足取りで散歩する姿を畏敬の念を持って眺めた。その青年も80過ぎの老人となり、田植え機に乗って苗を植えている姿を目にすると隔世の感がする。農家は稲作を中心に1年が回っていた。5月に苗代を作り種を蒔く、しばらくすると水路に水の流れる音がする。6月に入るといよいよ馬による田掻きが行われ、干し草を肥料として敷き込む。化学肥料など使わず、土手の草を予め苅って束ねて干しておく。里山には草刈場と称する原野があり、田植えに使う草を育てていた。無論、農薬など使わない。無農薬有機栽培が当り前の時代であった。田植えが終わると蛙が一斉に鳴き、しばらくすると蛍が乱舞する。長閑な農村風景そのものである。わざわざ蛍を見に行かなくても日が暮れると当たり前のように庭先に蛍が飛ぶ。
 そんな長閑な農村風景を高度経済成長期が奪って久しい。農村を捨てて都会に憧れ職を求めた結果、農業に担い手が高齢になり、老夫婦、独居老人が寂しい思いをしながら暮らしている。豊かな生活を求めて都会に出て行った若者は果たして豊かな生活を手にしただろうか。豊かな生活とはどんな生活なんだろう。田舎では豊かな生活は送れないのだろうか。新型コロナウイルスの流行を機に豊かな生活とは、豊かな人生とは・・・外出制限が行われ、家で過ごす時間が増えたいまじっくり考える良い機会ではないかとと思う。

半夏生(はんげしょう)ず

 夏至から数えて11日目が半夏生。田植えの終わった田圃も稲がすくすくと育ち始め眼前には青々とした光景が広がります。ここ2日程は雨続き。私の子供の頃は農休みと称して農家が田植えを手伝ってくれた人たちにご馳走する風習がありました。子供たちにとっても普段口に出来ないご馳走が食べられる楽しみな農休みでした。
 そんな光景も見られなくなって久しい。効率を優先する社会になってしまって、互いに助け合う風習も今は昔。
 しかし、農は人が生きる上でなくてはならない仕事。コロナ禍は生き方を変える絶好の好機だと思う。殺伐とした都会を離れ、故郷がある人たちが農村のに回帰することで廃れた農村が蘇る。ゆったりとした人生を送る。決してあり得ない話ではない。田舎に帰っても勤め先がないということをよく耳にするがそんなことはない。田舎は人手不足である。きっとあなたが腕を振るう仕事はあるはず。このブログを読んで下さった方は下記にご連絡ください。
 0556-62-1134 社会福祉法人 深敬園(じんきょうえん)

小暑(しょうしょ)次候 蓮(はす)始めて開く

 今日、7月16日は小暑の次候の最後の日に当たる。昨日までの梅雨空が嘘のようにカラッと晴れた1日でした。庭の蓮の華はまだ開きませんが、昨年蒔いた向日葵が背の高さを超しお日様に向かって笑顔を振りまいています。まだ梅雨明けが来そうもありませんが暦はもうすぐ暑い暑い大暑です。草が瞬く間に伸びてうっかりしていると野菜が埋もれてしまいます。

立秋初侯 涼風至る(りょうふういたる)

 長かった梅雨もようやく明けたと思ったら、大暑(たいしょ)について書く暇もなく秋が来てしまいました。そうはいってもここのところの日中の猛暑には辟易しますね。そんな中で先日はじめて蝉の声を聞きました。長い間土の中で暮らし、ようやく表に出て一週間の命の蝉は全身で思い切り夏を謳歌しています。私たちも積極的に自然に触れる機会を作らないと心が荒(すさ)びますよ!蝉に負けないように全身で毎日を生きましょう。

お盆

 多分全国的には8月13日~16日がお盆の時期に当たると思います。お盆は正式には盂蘭盆会と言いインドのサンスクリット語の「ウラバンナ」が語源と言われています。本来はお盆と先祖供養は全く関係がなく中国、朝鮮半島を経て日本に伝来する間に民間信仰と結びついて現在のような形になったと思われます。
 今の日本社会は急速に高齢化が進み、田舎を捨てた世代が高齢化したため過疎の故郷(ふるさと)のお墓の継承が問題になっています。この世代は誰彼(だれかれ)なく職を求めて都会を目指し、マイホームを手にするためにローンを組み、返済が終わる頃には大切な我が家も老朽化して子供たちは巣立ち、自分たちが両親にしたように打ち捨てられて老いているのが現状です。子供たちが小さい頃はお盆、正月に帰省しても大人になれば曾祖父を思う気持ちも薄れ次第に墓は忘れ去られ草むらの中に朽ちています。これが今の日本の現状です。
 先祖をないがしろにする家族が繁栄するはずはないと思います。お盆を迎えるにあたり、今いち度人生をどう生きるかじっくり考える機会にして欲しいと思います。本当に墓参りをする暇(いとま)がないほど多忙なのか。心を病む人が増えている原因のひとつに先祖を思う心、年寄りを想う心の欠如が考えられます。コロナ禍でを憂えることも大切ですが、お金では購(あがな)うことの出来ない大切なことが沢山あることに気づいて欲しいものです。
 

処暑 末候:禾乃登る(こくものみのる)

 つい先日田植えが終わったばかりだと思っていたらいつの間にか稲穂が出そろい頭を垂れてきました。暑い暑いと言いながらも時の流れは速く、はや季節は処暑も末候を迎え朝夕の風は秋を感じさせます。庭の向日葵も頭を垂れ秋桜(コスモス)が咲き始めました。昨年蒔いたひまわりの種がこぼれ、今年はたくさんの花が目を楽しませてくれました。花が終わったので抜こうとしたところ茎の太さが小児の腕くらいあり、とても堅く鎌では刈り取れないほどのものもあります。仕方なく放っておくと、ある雨上がりの朝10羽ほどの小鳥(名前がわかりません)一斉に飛来し花をつつき始めました。そうです種を食べているんです。植物を育てることは心を豊かにしてくれます。若芽がが出てくると成長してどんな花が咲くかと心躍らせ、花を愛で、花に集まる蝶や蜂の動きに時の経つのを忘れ、花が終わるとどこからともなく訪れる小鳥の姿に心洗われるひとときを過ごす日々です。歳を重ねると言うことはこういうことなんだと思いながら生きています。
 この30日で77歳になります。喜寿(本来は数え年なので昨年でしたが)を迎えることが出来るなどと思いもよらず、唯ひたすら夢中で人生を走ってきたように思います。人は何処(いずこ)より来て、何処に帰るのか。永遠の謎であります。人はお役目を背負ってこの世に使わされ、お役目が終わったらこの世を去るんだと思っています。朝目が覚めると、今日も生かされていることを思い、お役目を果たすべく動きます。仕事を終えると今日一日無事に過ごせたことに感謝しながら眠りにつきます。

十五夜(旧暦の8月15日)

 今日、10月Ⅰ日は旧暦で言うと8月15日に当たり十五夜である。月齢からすると明日が満月になる。暑かった夏もはや過ぎ、夜は暖房が欲しいくらいの季節になってしまいました。平安の頃より月を愛でる風習は人々の日常生活に溶け込み、和歌にも多く詠まれています。月の呼び名も十五夜を中心に13日は十三夜(じゅうさんや)、14日は小望月(こもちづき)、16日は十六夜(いざよい)、17日は立待月(たちまちづき)、18日は居待月(いまちづき)、19日は寝待月(ねまちづき)、20日は更待月(ふけまちづき)と一夜一夜に名前をつけて月の満ち欠けを楽しんだと思われます。ともすると忙しい忙しいと(本当に忙しいのか疑わしいもんですが)空を見上げ月を観る風流すら失ってしまった昨今、コロナ禍を機会に真に大切なものは何か考える十五夜にして欲しいと思います。(正面に富士山が見えます)
 

雨上がりの夕景色

 山梨県に台風が接近するという天気予報が出され、木、金、土と3日間雨が降り続いた。今日は晴耕雨読の雨読の1日。音楽を聴きながら日がな一日読書に耽る。贅沢な1日である。雨が降らなければ外に出てあちらこちらと動き回るが、休日に一日中雨が降ることなど滅多にないが、雨が降ったら1日をどう過ごすか。これは仕事をリタイヤした時、長い1日をどう過ごすかという事態に通ずる。定年がある身であるならば定年後どのように過ごすか。定年を迎えてから考えるんでは時遅しである。遅くとも60歳を迎えたらその時に備えて心構えをしておくべきだと思う。
 奇しくもコロナ禍の最中、行動半径を制限された日常生活を如何に過ごすか問われる事態に直面している。職場に来なくていいと言われたらどうするか。こんなことを経験したことがない私たちは途方に暮れてしまう。働く場所があるということがこんなにありがたいことかと思うはずである。
 夕方5時本を読んでいるといつもなら夕闇が迫るはずの時刻に急に辺りが明るくなった。慌てて表に出て写真を撮った。言葉では表すことの出来ない光景を目の当たりにして感動する。貴重なひとときであった。
 
 

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