理事長ブログ
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政権末期の喘ぎ(2020.8.2)
2020-08-02
コロナ禍をきっかけに安倍政権の混迷ぶりが目立って来た。安部ノミックスと称する経済政策が砂上の楼閣であったことが明らかになるにつれて、その綻びを繕うために次々と打たれる政策がことごとく裏目に出ている。”二兎を追う者は一兎をも得ず”である。政権を欲しいままにして来た甘い蜜の味を失うことを恐れる余りコロナ禍への対策も金で解決しようとする。国が10万円を配れば、市町村も1万円を配る。Go To トラベルと称してまた金を配る。金、金、金・・・である。蟻地獄に落ちた政権。危機に陥った時に耐乏生活を強いることは勇気がいるが、危機を脱するための王道であるはず。凶弾に倒れた浜口雄幸、井上準之助の覚悟を今一度思い返してもらいたい。

国から支給される10万円 さてあなたならどうする(2020.5.1)
2020-05-01
新型コロナウイルスによる生活苦を救うために国民一人ひとりにもれなく10万円が支給されることとなった。会社が窮地に陥り、リストラされるような人にとってはこんなにありがたいことはない。
心配なのはそれでなくても借金が1,000兆円を超える現状をどうするのか。12兆円は1,000兆円な前ではたいした額に映らないらしい。コロナ騒動が収まったときデフォルトが起きない保証はない。多くの国民がこのことを憂え、明日の生活に困らない状況にある人がどれだけ辞退するか。折角くれるんだからもらわない手はないと思うのか。日本人のあり方が問われる10万円である。
よもや配布を決めた政治家や身分を保障されている公務員が受け取るとは思わないが(よもやの表現は、あり得ないこと、あってはならないことだからである)、政治が国民を軽んじているとしか思えない。現金を配るという行為は無策と表裏一体である。金をもらって怒る人はいないだろうが、心ある人は困惑するはずである。これが国家窮乏の時のために積み立てあった金ならば理解は出来る。しかし、しかしである。1,000兆円を超える借金を抱えた国がやることではないと思うが如何か。この10万円を巡って家族間のトラブルが起こる可能性もある。その前に、振り込め詐欺同様の手口で詐取しようとする輩が横取りを企む恐れもある。これが賭け事に回ると思うとやるせない気持ちがする。明日の生活にも困窮する人たちへの給付金だということを肝に銘じて欲しい。

新電力に切り替える(2020.3.11)
2020-03-11
東北大震災から9年が経った。報道によると復興半ばであるという。私は24年前の阪神淡路大震災の直後支援に行った経験がある。夜の高台から見た暗闇の中で燃える火が今でもありありと脳裏に浮かぶ。震災によってすべての物が突然失われる、愛しい命さえも。復興とは目に見えない心の傷からの再生でもある。津波の被害に加え、原子力発電所の破壊による目に見えない放射能汚染に恐れながらの生活は遠く離れた私たちには想像すら出来ない苦難の連続であると思う。でも、これほど深刻な被害を受けても我が国は原子力を捨てることが出来ないでいる。国民の生命(いのち)より経済を優先する政治が原子力からの脱却という大きな決断を先延ばしにしている。私たち国民にも責任はある。便利で安易な生活を求め、24時間開いているコンビニをどれだけの人が利用するのか考えたことがあるだろうか。真冬の寒さでも真夏の酷暑でも快適に暮らすためエアコンを各部屋に一台ずつ設置し、自販機でお茶、珈琲を買うことに何のためらいも感じない。私どもの世代では考えられない状況である。
私たちは、原子力は安全、安心、安価なエネルギーであるという何の根拠もない安全神話にだまされ続けてきた。その神話が大震災によって一気に覆された。東電は汚染処理水、汚染がれきの処分にあがいている。中間処理という目先の対応によって事は根本的に解決しない。最終処分場は目鼻はつかない。プルサーマルも暗礁に乗り上げたままである。何故原子力エネルギーにこれほどまで固執するのか。私たち国民ひとり一人が原子力の怖さを知った今、生活習慣を改めることによって再生可能エネルギーによる電力供給に切り替えることが可能になる世の中がすぐ近くまで来ている。
私たちの法人は、昨年身延の事業所の電力を東京電力から丸紅新電力に切り替えた。永年私たちを騙し続けてきた独占大企業東京電力。もはや国民を騙し続けることが出来ない状況である。最近、南アルプス事業所(ともろうらんど)に東京電力から電気料金値下げ提案があった。かなり慌てているようである。しかし、3月の言葉でも触れたように「商売は物を売ることではなく、信用を売ることである」。永年私たち騙し続けてきた大企業を信用することは出来ない。近く新電力にに切り替えることにしている。
最近、仮想発電所(VPP バーチャル・パワー・プラント)が取り沙汰されている。点在する再生可能エネルギーや蓄電池、電気自動車などをネットワーク上で遠隔制御し、一つの発電所のように機能させる仕組みだそうである。まさに電力の地産地消である。その前に私たちに出来る事から始めるべきである。環境に適合できない種(しゅ)は滅ぶ。生きる環境を私たちが生きやすいように変えるのではなく、環境に合わせた生活を送るようにすることである。戦中戦後の悲惨な生活を思い起こせば何てことはない。こんなことを言うから年寄りは嫌われるのである。嫌われて上等である。

崩壊する過疎の町(2020.2.20)
2020-02-20
2月16日グループホームの利用者さん達と日本平に出かけた。一年ぶりのイチゴ狩りである。雨模様だったがイチゴはハウスの中なので心配することはない。出発して30分身延を通過した時コンビニが閉鎖している光景に出会った。隣の南部町を通過した時も開いていると思ったガソリンスタンドが閉鎖していた。しばらくしてまたコンビニが閉鎖していた。心がざわついた。中部横断道が間もなく全線開通する。長野に行くにも静岡に行くにも便利になるには違いない。便利さを追求した結果地方が崩壊すると誰が予想しただろう。それでなくても地域から商店が消えている。コンビニを頼りにしていた地域の住民は突然の閉鎖に戸惑うばかりである。利益を最優先するコンビニ業界は住民の生活のことなんか考慮しない。開店する時も閉店する時も突然である。これが資本主義である。弱者は常に切り捨てられる。地域の商店を閉店に追い込んだのは私たち住民である。安売りを求めてスーパーマーケットに出かけて買い物をすることで地域の商店を窮地に追い込んでいるという意識が欠如した結果自分自身の首を絞めることになってしまった。数年前に富士川町のJマートが閉め、市川大門のJマートも最近閉店した。地域の商店を閉店に追い込んだ大型店が今度はそれより大きな規模の大型店により駆逐される。経済の原理とは言え住民はその波に翻弄される。車を運転できる人はまだしも運転できない人は途方に暮れてしまう。

獅子身中の虫(2020.2.1)
2020-02-01
1月28日の身延山山頂への登山は困難を極めた。前日は山梨県にも大雪注意報が出て夜半に降った雪で山頂付近は20㎝ほどの積雪。36丁目からは小雨のために雨を含んだ雪に足を取られ思うように進めなくなってしまった。正午に出発して既に3時間が過ぎた。雨に体温をとられ寒さが忍び込む。ちらっと今回は無理しない方が良かったとの念がよぎる。6年前の大雪がありありと思い出される。あの時は25丁目で断念した。でも今回はあれほどの深さではないと高をくくった。心に鞭をくれ一歩一歩よじ登る。文字どおりよじ登らざるを得ない状況。ふっと帰りはロープウエイで下りるかと身中の虫が誘惑する。これこそ獅子身中の虫。志を挫(くじ)くもとである。喘ぐように足と引きずりながら頂上に着いたと時は精魂尽き果てたという感じだった。事務所でいつものご朱印をいただいていると思親閣(お山の頂上にあるお寺)の別当(住職)がご苦労さまの言葉もなく無言で下山(げざん)するためロープウエイ山頂駅に向かった。どんな気持ちでこの老いぼれを見たのだろうか。こんな雪の中を物好きなやつだと思ったかもしれない。その姿を見た時、歩いて下りようと思った。一瞬でも安易な方法を選ぼうとした自分を恥ずかしく思った。結局2時間かけて下山した。10丁目にさしかかった頃辺りは暗くなり足下がおぼつかなくなってきた。午後6時ちょっと前に帰着したが、疲れよりも歩き通したことに満足した登山だった。
