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社会福祉法人 深敬園
〒409-2524
山梨県南巨摩郡身延町身延3637
TEL.0556-62-1134
FAX.0556-62-1135
・障害者トータルサポートセンター
      かじか寮 
・就労継続B型 
      Bread&Butter
・居宅支援サービス
      福祉ネットスマイル
・居宅介護支援事業所
      かじかサポート
・訪問看護ステーション
      かじかナースステーション
 
      
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今月の言葉

2020年4月の言葉 余命(よめい) 

 人は例外なく生まれた瞬間から残された余命を生きている。余命がどれくらいなのか天(てん)のみぞ知る(これを天命という)。限られた時間のなかで、何をするのか。生まれたことの意義を噛みしめながら生きよう。
 後期高齢者の仲間入りをして2年、喜寿を迎えることが出来た。正直には、今年の9月30日に満77歳になる。ただし、還暦、古希、喜寿、傘寿・・・は数え年で言祝ぐのですでに立派な喜寿である。
 振り返ってみると最近の文章は「人生とは」といったいかにも説教じみたものが多くなってきている。若い世代には、大きなお世話、年寄りの戯言(たわごと)だと思われるだろう。じじいが偉そうに、たいした人生も送っていないくせに・・・かもしれない。ただ、玄冬(人生を青春、朱夏、白秋、玄冬の四期に分ける)のまっただ中にある人間として、それなりに人生を語ることも大切、否(いな)語らなければいけないと思う。
 年をとるということは身体に不調を抱えるということだ。これは日々幾万?とういう細胞が死滅しているのだから仕方のないことである。そういう私も例外ではない、のが悲しい。ただ、日々の努力によって老化の速度を遅らせることは出来る。免疫力を高めることで病に罹るリスクを減らすことも可能である。長生きして何かいいことあるのか。いいことって何だ。それを知るのが人生である。ある日突然大風によって命の灯火が消される、こんなことは枚挙に暇(いとま)がない。日蓮聖人曰く「老いも若きも定めなきならいなり」である。余命がどれくらいかわからないから日々を惜しむのである。一日々を大切に生きるのである。そして朝目が覚めたとき今日一日命が与えられたことに感謝し、文字通り命をかけて生きることである。

2020年5月の言葉 身近なあたりまえの幸せに気づかないと もったいない人生になる

 新型コロナウイルスのパンデミックによりあたりまえの日常があたりまえでなくなってしまった。考え方を変えれば、今回の危機は私たちの生き方を変える良い機会になると思う。否、好機にしなければならない。足下をしっかり見つめて歩くことで名も知らない草花の美しさに感動し、小さな虫の存在にも目が行くようになる。そして私たち人間も草花や虫たちと同じ自然界の種に過ぎないことに気づくべきである。
 今回のような危機に出遭うと、生活するのに便利な都会に住むことが果たして幸せなのか考えさせられる人もいると思う。限界集落と呼ばれるような田舎に故郷がある人達にとってはチャンスかもしれない。田舎には仕事がないと言い訳をする前に体験をしてみることだ。自然に囲まれて生きることがこんなに心地良いことだと思わなかったと実感するはずである。
 田舎は不便だ。よく聞く言葉だ。本当に不便だろうか。確かに都会の生活に比べたら不便かもしれないが、こんなものだと腹をくくってしまえば生きていくのに不便のことははそれほどない。勤め先も贅沢さえ言わなければ食べるのに困らない程度の収入は得られる。手前味噌であるが。我が社会福祉法人深敬園は、介護のなり手がないのでいつも人手不足である。3K(きつい、汚い、金が安い)と言われて久しいが、それは過去のことである、と思っている。確かに介護の仕事はきついと思う。でも世の中にはもっときつい仕事は五万とある。炎天下で働かなければならない仕事のことを思えば決してきついとは言えない。汚い。排泄の介助を含め、汚いと言えば言えなくもないが捉え方次第である。金が安い。でもないです。勤続年数にもよりますが。年収300万円以上はあります。600万円の職員もいますよ。
 

2020年6月の言葉 危機に陥ったとき生き方が問われる 

 緊急事態宣言が一端解除されたものの第2波、3波の流行が懸念されている。世界中に感染が広がったことでその国の指導者の資質が問われている。同じことが個人にも問われている。欲しいものがいつでも手に入り、食べ物も平気で廃棄してきたつい最近までの生活。今回の事態は、わがまま放題に振る舞ってきた人類への自然界からの警鐘だと捉える。高齢の親を施設に閉じ込め自由を奪って来た家族。障害者を施設に閉じ込めて、支援という美名のもとに心の痛みに麻痺してしまった私たち法人の理事長をはじめとする職員。
 今回の事態をどのように受け止めるか。1ヶ月やそこらでストレスがたまるなどと音を上げてしまう程柔な現代人。危機を共有し一丸となって乗り切ることで一段と逞しい人間として日本人は大きく成長すると思う、いや危機を好機として成長しなければならない。
 アメリカ合衆国では、コロナウイルスの流行でこれまでたまっていた不満が一気に爆発し、暴動が広がっている。国の指導者の言動が常軌を逸している。大統領選を間近に控えた強気の行動はますます国民を不安に陥れる。我が国でも大型補正予算のぶんどりを巡って濡れ手で粟を目論む輩が跋扈している。長期政権の綻びがそこかしこに出始めている。
 

2020年7月の言葉 忘己利他

「忘己利他(もうこりた)」は、天台宗開祖最澄の言葉、己(おのれ)を忘れ他を利するは慈悲(じひ)の極(きわ)みによります。第2次大戦後の日本は敗戦という悲惨な体験を経ることで極端なアメリカ至上主義に陥ってしまい利他よりもまず自分の利を追求する利己を優先する国民性が定着してしまったように思われます。
 今、コロナ禍での生き方が問われています。コロナ対策よりも経済を優先する国ではコロナが猛威を振るっています。コロナ終息まで自粛するという謙虚な気持ちが失われ、利己を優先する。しかし、他を利することは畢竟己を利することに繋がります。
 社会福祉法人の存在意義は社会的弱者に如何に向き合うかにあると思います。私ども深敬園の前身は救癩事業でした。障害者支援の事業に変わってもその精神は脈々と受け継がれいるものと確信しています。救癩事業は利他そのものであったことをいつも心の底に抱(いだ)きながら、障害を乗り越えて生き生きと暮らせるよう利用者の皆様と共に生きていけたらと改めて思う今日この頃です。

2020年8月の言葉 物事を判断する目線の高さは不断の努力で築くもの

 日常を生きていく上で私たちは様々な事柄に出くわす。そして、それを自分なりに判断して解決していかなければならない。上司の判断を仰ぐことも必要だが、自分なりの判断をすることも必要になる場合がある。特に私生活では個人で判断して決めていかなければならことがほとんどである。ひとつの事象でも目線の高さによって見える範囲が違うために異なる判断がなされるのは致し方のないことである。
 年を重ねたからといって正しい判断が出来るとは限らない。様々な経験を積み重ねる過程で過ちを犯し、失敗を重ねることで人は成長する。重要なことは、安易に他人(ひと)の考えに与(くみ)しないこと。法人の職員である以上、法人の方針、事業所の方針を理解した上で自分に与えられた仕事をどのように進めていくかは個人にかかって行く。目線の高さを上げて行く不断の努力が求められ、その努力を怠らなかった者が人格者として尊敬され、社会を動かして行って初めて誰もが生き良い社会が作られる。
 組織の舵取りをする任にある者は、昼夜を問わずの努力が求められるし、それが与えられた使命でもあると考える。普通の生活を望み、波風の立たない人生を歩むもよし、敢えて荒波に向かおうとする人生を歩むもよしである。どう考えるかはそれぞれである。
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