本文へ移動
社会福祉法人 深敬園
法人本部・みのぶ事業所
〒409-2524
山梨県南巨摩郡身延町身延3637
TEL.0556-62-1134(代)
FAX.0556-62-1135
 
      
0
1
1
7
9
3
4

理事長ブログ(旧)

今年も見事な花を咲かせてます!

ど~んと富士山ど真ん中!(2021.4.18)

 昨日は一日中雨。平林(ひらばやし)は標高が高いため雨が降り始めると辺り一面靄(もや)の中。幽玄の世界である。そんな休日は文字通り晴耕雨読。日がな一日音楽を聴きながら読書三昧。最近アンプの具合が良くなくno diskの表示が出るCDが続出しイライラが募っている。機械に弱いためCDを聴くためのアンプに仕組みが全くわからず、ケーズデンキに行って尋ねたがいまいち理解出来ない現状。
 読書は乱読気味。昨日は荻原浩の「ストローベリーライフ」を一気に読破。イチゴ作りのノウハウを知る。実は昨年からイチゴの苗を庭の一画に植えて育てはじめたが、全くの素人。本を読んでみてそうなんだ!って芽から鱗(うろこ)。30株ほどのイチゴに向かって今年はヤッタルゼ~と固い決意。
 写真は今朝のリビングルームからの眺め!昨日(きのう)とうって変わったど~んと富士山ど真ん中!

花は心を華やかにする(2021.4.11)

 この地に移って4度目の春を迎えた。この家の前の持ち主はとても花がお好きだったようでたくさんの種類の花が植えられている。この地に来てはじめて出会った花も多く名前の知らない花々が四季の彩りを添えてくれる。
この写真の芝桜も自慢の一つである。最初はそれ程目立たなかったが年を追うごとに見事な花を咲かせるようになった。実物はもっと華やかで道を通り過ぎる人の目を楽しませている。しかし見事な花にするためには草を抜くという作業が欠かせない。何せ芝桜は細かい花の集まりであるから草取りも結構根気がいる作業である。花が終わると暇を見つけては草を抜く。咲いたときの見事な光景を思い浮かべながら。

日記をつける

 3年日記をつけはじめて何年になるのか、記憶は定かではないが7冊ほどになるので20年は経つと思う。いつもなら11月になるとそろそろ次の日記が売り出される頃だからと気にかかるが、今回は躊躇している間に年が明けてしまった。これもタブレットのせいである。タブレットを使い始めて数年になるが、これほど便利なものはない。新聞、書籍、予定表・・・と日常生活になくてはならない存在となって久しい。しかし何かもの足らないのである。やはり永年慣れ親しんで来た手書きという作業は欠かすことが出来ないのかもしれない。てな訳で先日書店に出向き2021~2023の3年日記を購入した。先ず今年の抱負を書き、10リスト(今年実行しようとする10の事柄)を考え、1月、2月の予定を記入。これでやっと落ち着いた気分である。

テレワークあなたはどう思う?

 働き方改革が提唱され(またまた国民を惑わす政権の思いつき)てタイミングよくというか悪くという、コロナ禍での働き方がさまざま取り沙汰されている。テレワーク?老いぼれには何のことやらさっぱりである。会社に行かないで自宅で働くという。個人商店?じゃあないよね。ネット社会が進み、自宅に居ながらにして会社の仕事が出来るという。施設に入っている利用者さんの介護はどうするの?食事の提供は?物を作る第1次産業は?みんなで家にいたらどうやって生きていくの?身体を使って仕事をする人には関係なくテレワーク、テレワークて浮かれていていいのかな。
 コロナ禍で外出が制限されただけで未だかつてないストレス禍に戸惑う家庭。家にいて仕事されたんじゃ息抜きも出来やしない。さっき朝ご飯食べたばかりなのにもう昼ご飯の支度?夕飯のおかず何にする?こんなことこれから先もずっと続くかと思うとやってられないよ!仕事と家庭生活、メリハリがついてこそ人生も充実するってこと、もうすぐ解るよ。とにかくアメリカではやってることに飛びついていいことあった?ないよね。

葉っぱのフレディ(2020.11.27)

 根川沿いは春の桜並木、秋の銀杏並木が圧巻です。ああ銀杏並木が色づいているなと思って過ごしているうちにいつの間にか丸裸。なるべく利根川沿いを通るようにしているが、最初の感動が薄れてしまい気がついたときはかろうじて1本だけ残っていました。慌てて木の下に行ききれいな葉を拾い集めて玄関に散りばめました。家に帰った時ホッとします。こんな些細なことでも心が癒やされます。
 先日本棚を整理していて久しぶりに「葉っぱのフレディ」に出会いました。とても感激したことを思い出しました。私達もフレディだと言うことを改めて思い、縁があって共に働く仲間ともいつかはお別れしなければならない時が訪れます。共に助け合いながら仲良く楽しい毎日を送るように心がけています。

政権末期の喘ぎ(2020.8.2)

 コロナ禍をきっかけに安倍政権の混迷ぶりが目立って来た。安部ノミックスと称する経済政策が砂上の楼閣であったことが明らかになるにつれて、その綻びを繕うために次々と打たれる政策がことごとく裏目に出ている。”二兎を追う者は一兎をも得ず”である。政権を欲しいままにして来た甘い蜜の味を失うことを恐れる余りコロナ禍への対策も金で解決しようとする。国が10万円を配れば、市町村も1万円を配る。Go To トラベルと称してまた金を配る。金、金、金・・・である。蟻地獄に落ちた政権。危機に陥った時に耐乏生活を強いることは勇気がいるが、危機を脱するための王道であるはず。凶弾に倒れた浜口雄幸、井上準之助の覚悟を今一度思い返してもらいたい。

国から支給される10万円 さてあなたならどうする(2020.5.1)

 新型コロナウイルスによる生活苦を救うために国民一人ひとりにもれなく10万円が支給されることとなった。会社が窮地に陥り、リストラされるような人にとってはこんなにありがたいことはない。
 心配なのはそれでなくても借金が1,000兆円を超える現状をどうするのか。12兆円は1,000兆円な前ではたいした額に映らないらしい。コロナ騒動が収まったときデフォルトが起きない保証はない。多くの国民がこのことを憂え、明日の生活に困らない状況にある人がどれだけ辞退するか。折角くれるんだからもらわない手はないと思うのか。日本人のあり方が問われる10万円である。
 よもや配布を決めた政治家や身分を保障されている公務員が受け取るとは思わないが(よもやの表現は、あり得ないこと、あってはならないことだからである)、政治が国民を軽んじているとしか思えない。現金を配るという行為は無策と表裏一体である。金をもらって怒る人はいないだろうが、心ある人は困惑するはずである。これが国家窮乏の時のために積み立てあった金ならば理解は出来る。しかし、しかしである。1,000兆円を超える借金を抱えた国がやることではないと思うが如何か。この10万円を巡って家族間のトラブルが起こる可能性もある。その前に、振り込め詐欺同様の手口で詐取しようとする輩が横取りを企む恐れもある。これが賭け事に回ると思うとやるせない気持ちがする。明日の生活にも困窮する人たちへの給付金だということを肝に銘じて欲しい。

新電力に切り替える(2020.3.11)

 東北大震災から9年が経った。報道によると復興半ばであるという。私は24年前の阪神淡路大震災の直後支援に行った経験がある。夜の高台から見た暗闇の中で燃える火が今でもありありと脳裏に浮かぶ。震災によってすべての物が突然失われる、愛しい命さえも。復興とは目に見えない心の傷からの再生でもある。津波の被害に加え、原子力発電所の破壊による目に見えない放射能汚染に恐れながらの生活は遠く離れた私たちには想像すら出来ない苦難の連続であると思う。でも、これほど深刻な被害を受けても我が国は原子力を捨てることが出来ないでいる。国民の生命(いのち)より経済を優先する政治が原子力からの脱却という大きな決断を先延ばしにしている。私たち国民にも責任はある。便利で安易な生活を求め、24時間開いているコンビニをどれだけの人が利用するのか考えたことがあるだろうか。真冬の寒さでも真夏の酷暑でも快適に暮らすためエアコンを各部屋に一台ずつ設置し、自販機でお茶、珈琲を買うことに何のためらいも感じない。私どもの世代では考えられない状況である。
 私たちは、原子力は安全、安心、安価なエネルギーであるという何の根拠もない安全神話にだまされ続けてきた。その神話が大震災によって一気に覆された。東電は汚染処理水、汚染がれきの処分にあがいている。中間処理という目先の対応によって事は根本的に解決しない。最終処分場は目鼻はつかない。プルサーマルも暗礁に乗り上げたままである。何故原子力エネルギーにこれほどまで固執するのか。私たち国民ひとり一人が原子力の怖さを知った今、生活習慣を改めることによって再生可能エネルギーによる電力供給に切り替えることが可能になる世の中がすぐ近くまで来ている。
 私たちの法人は、昨年身延の事業所の電力を東京電力から丸紅新電力に切り替えた。永年私たちを騙し続けてきた独占大企業東京電力。もはや国民を騙し続けることが出来ない状況である。最近、南アルプス事業所(ともろうらんど)に東京電力から電気料金値下げ提案があった。かなり慌てているようである。しかし、3月の言葉でも触れたように「商売は物を売ることではなく、信用を売ることである」。永年私たち騙し続けてきた大企業を信用することは出来ない。近く新電力にに切り替えることにしている。
 最近、仮想発電所(VPP バーチャル・パワー・プラント)が取り沙汰されている。点在する再生可能エネルギーや蓄電池、電気自動車などをネットワーク上で遠隔制御し、一つの発電所のように機能させる仕組みだそうである。まさに電力の地産地消である。その前に私たちに出来る事から始めるべきである。環境に適合できない種(しゅ)は滅ぶ。生きる環境を私たちが生きやすいように変えるのではなく、環境に合わせた生活を送るようにすることである。戦中戦後の悲惨な生活を思い起こせば何てことはない。こんなことを言うから年寄りは嫌われるのである。嫌われて上等である。
 

崩壊する過疎の町(2020.2.20)

 2月16日グループホームの利用者さん達と日本平に出かけた。一年ぶりのイチゴ狩りである。雨模様だったがイチゴはハウスの中なので心配することはない。出発して30分身延を通過した時コンビニが閉鎖している光景に出会った。隣の南部町を通過した時も開いていると思ったガソリンスタンドが閉鎖していた。しばらくしてまたコンビニが閉鎖していた。心がざわついた。中部横断道が間もなく全線開通する。長野に行くにも静岡に行くにも便利になるには違いない。便利さを追求した結果地方が崩壊すると誰が予想しただろう。それでなくても地域から商店が消えている。コンビニを頼りにしていた地域の住民は突然の閉鎖に戸惑うばかりである。利益を最優先するコンビニ業界は住民の生活のことなんか考慮しない。開店する時も閉店する時も突然である。これが資本主義である。弱者は常に切り捨てられる。地域の商店を閉店に追い込んだのは私たち住民である。安売りを求めてスーパーマーケットに出かけて買い物をすることで地域の商店を窮地に追い込んでいるという意識が欠如した結果自分自身の首を絞めることになってしまった。数年前に富士川町のJマートが閉め、市川大門のJマートも最近閉店した。地域の商店を閉店に追い込んだ大型店が今度はそれより大きな規模の大型店により駆逐される。経済の原理とは言え住民はその波に翻弄される。車を運転できる人はまだしも運転できない人は途方に暮れてしまう。
  

獅子身中の虫(2020.2.1)

 1月28日の身延山山頂への登山は困難を極めた。前日は山梨県にも大雪注意報が出て夜半に降った雪で山頂付近は20㎝ほどの積雪。36丁目からは小雨のために雨を含んだ雪に足を取られ思うように進めなくなってしまった。正午に出発して既に3時間が過ぎた。雨に体温をとられ寒さが忍び込む。ちらっと今回は無理しない方が良かったとの念がよぎる。6年前の大雪がありありと思い出される。あの時は25丁目で断念した。でも今回はあれほどの深さではないと高をくくった。心に鞭をくれ一歩一歩よじ登る。文字どおりよじ登らざるを得ない状況。ふっと帰りはロープウエイで下りるかと身中の虫が誘惑する。これこそ獅子身中の虫。志を挫(くじ)くもとである。喘ぐように足と引きずりながら頂上に着いたと時は精魂尽き果てたという感じだった。事務所でいつものご朱印をいただいていると思親閣(お山の頂上にあるお寺)の別当(住職)がご苦労さまの言葉もなく無言で下山(げざん)するためロープウエイ山頂駅に向かった。どんな気持ちでこの老いぼれを見たのだろうか。こんな雪の中を物好きなやつだと思ったかもしれない。その姿を見た時、歩いて下りようと思った。一瞬でも安易な方法を選ぼうとした自分を恥ずかしく思った。結局2時間かけて下山した。10丁目にさしかかった頃辺りは暗くなり足下がおぼつかなくなってきた。午後6時ちょっと前に帰着したが、疲れよりも歩き通したことに満足した登山だった。

2019年12月24日、身延山(1,153m)登山300回達成!

 平成30年12月18日に250回を達成して1年と6日で50回、12月24日に300回を達成しました。22日の夜半に雪が降り、登山道の雪が心配されましたが、思ったほどではなく40丁目から積雪があったが歩くには支障がありませんでした。しかし上りに3時間下りに2時間かかる現実を目の前にして正直戸惑いを禁じざるを得ません。新しい年を迎え新たな気持ちで301回から淡々と回を重ねるだけです。いつまで続けられるかわかりませんが、上ろうという意思と体力が許す限りたいと思っています。

分解ということ

 最近「分解の哲学」という書物に出会った。地球上のすべての存在は、最終的に分解して消滅するというものだ。人間も例外ではない。中に屑拾いの話が出てくる。屑(くず)とは、もちろん不要になった、役に立たなくなった物の総称である。「人間の屑」とは役立たずの蔑称である。江戸時代にあっては、屑屋はほとんど資本のいらない、誰もが気軽に出来る職業であったという。屑と言えば紙くずを連想する。不要になった紙くずを集めて再生することで経済のルールにのっとている。屑を拾う人がいなければ、屑がちまたに溢れ、たちどころに生活に支障を来す。今の日本では、自治体によるゴミの収集が当たり前になっているが、いずれはこの当たり前のサービスがなくなることだって考えられる。誰かが嫌な役目を担ってくれるから生活が成り立っていると、立ち止まって考えることが必要ではないか。プラスチックの容器が世界的に問題になっている。つまり、すべての物が分解して消滅するという哲学の範疇から外れる物は地球の存続にとって有害である。プラスチックの廃棄が増え続けば地球上はプラスチックで溢れる。自治体も収集はするが詰まるところ再利用の策はなく、焼却という形で消滅させている。CO2の排出量が問題視され、いずれは焼却も出来なくなる。石油由来の製品を使用しないという大きな決断が迫られている。人は一度安易な物に慣れ親しんでしまうとなかなかそこから抜け出すことは出来ない。「分解の哲学」は示唆に富んだ書物である。是非読んでみることをお勧めする。

北岳登山(日の出と富士山)

 
事前の情報では二俣を回った方が楽ですよなんて聞いていたものの、いざ二俣から頂上を目指そうとすると谷沿いに直線の急勾配。足下はガレの多い不安定な道。おまけに晴天で木陰もなく直射日光が容赦なく照りつける。しばらくすると林が現れたのでホットするも、目指す肩の小屋は遥か遠く。肩の小屋まで30分との標識にホッとして目を彼方に向けると稜線の遙か彼方に人の姿が。果たして30分であそこまで行けるのか。その先はどうなっているのか、疲れた身体に鞭打って1歩また1歩と牛の如き歩を進める。言うまでもなく山に登るということは頼りになるのは自分のこの身体のみである。泣こうが叫ぼうがどうにもならない。意思に鞭打ち歩を進めるしかない。ただ、言えることは1歩進めば目的地に1歩近づく。今登っている誰もが同じ苦しみを味わっているんだ。自分だけではない!そんな思いを抱きながらひたすら歩いて行くと彼方にテントが見え始める。ここまで来てやっと今日の目的地肩の小屋が現実になる。7時間20分よく歩いたものだ。自分を褒めてやる。ここまで来れば頂上を極めることが現実味を帯びる。頂上はすぐそこに見える。今夜休息をとって明朝頂上を極めるんだ!
 

北岳登山(通称肩の小屋のある北岳の肩)2019.8.10

8月4日午前7時50分発広河原行のバスに間に合うように家を出発して、午前7時過ぎに芦安の市営駐車場に到着。朝一番のバスは5時15分ということで駐車場は満車状態。バスの発着所から大分離れた第8駐車場に駐車して、重いリュックを背負って歩くこと15分。バスは山道をひたすら走ること1時間20分(予定所要時間は1時間)。インフォーメーションセンターで登山届を出していよいよ出発。吊り橋を渡って登山口へ。9時20分登山口を歩き始め木立の中をひたすら歩む(よじ登る)こと2時間30分、正午ごろ御池小屋に到着。雲ひとつない快晴だが木立の中を進む登山道は涼しくここまでは心地よい登山でした。御池小屋でソフトクリーム(600円)を食べて30分ほど休憩。比較的景色が良いですよとのインフォーメーションセンターの職員の助言を得てコースに二俣を選んだ。二俣まではどちらかというと下るような道を歩くこと40分、雪渓が目の前に現れた。
 

ご朱印集め続編

 ご朱印集めはおそらく江戸時代に始まったと思います。神社仏閣が参拝者を増やそうとご朱印帖なるものを作って・・・いや最初は参拝者が参拝の記念に何か書いていただけませんか、などとお願いして始まったのかもしれません。参拝する側も一枚ずつ取っておくと散逸してしまうので、半紙を綴じて持参する人も現れ始めます。そんな要望が増えてくると、いっそご朱印帖を作ろうなんて考える神社仏閣が出てきて今回のブームに結びついたと思います。さて、究極のご朱印集めは、掛け軸です。これはもう本格的です。私も最初見た時は息をのみました。すげーって感じです。仏間もしくは床の間に飾ってご本尊として朝夕に拝むんだと思います。この軸に書くのも覚悟がいります。他の神社仏閣の朱印と比べて見劣りがするような文字では恥になります。こんな時、僧侶は字が上手なことは当たり前なことだと思い知らされます。自分の書いた朱印の文字が立派なお宅の仏間に掛けられ信仰の対象になるんだと思うと、もっともっと練習をしておけば良かったと反省します。
 では、神社仏閣を参拝して集めたご朱印帖はその後どのような運命をたどるんでしょうか。老後の思い出話の資料になることもあるでしょう。御朱印帖を開いて参拝した時の光景を思い出す手がかりになりますよね。でも、個人のアルバムと同様、その人が亡くなれば無用の長物となります。そうならないためのとっておきの方法をお教えしましょう。
 高齢者が激増し、終活の文字を目にし、耳にすることも珍しくなくなりました。60歳を節目に終活を真剣に考えましょう。ご朱印帖は行衣(ぎょうい)、お珠数(じゅず)と一緒にお仏壇の引き出しにしまっておく。自分が死んだら、行衣を着せて(「死に装束」)、左手に珠数を持たせて棺桶に納めて下さいと家族に話しておきます。ご朱印帖はお棺入れてもらいます。生前にお参りをした神社仏閣のご本尊があなたをお迎えに来て無事お釈迦さまのもとにお連れして下さいます。そのためのご朱印帖なんです。
 さあ、今日からは心新たにせっせとご朱印帖を持って神社仏閣にお参りしましょう。私はもう7冊目ですよ!
 
 

御朱印帖ブームだそうですね

 新聞のコラムによると、世の中ちょっとした御朱印帖ブームだそうですね。・・・ブームはいつもながらのことなので、なんてことはないと思いながらも僧侶のはしくれとして一言あって然るべきかと筆をとりました。
 多分御朱印帖ブームに乗っかっている人の大部分は宗教に無関心で、観光地で記念スタンプを押すくらいの軽い気持ちだと思います。・・・に行って来たよ~程度の感覚で御朱印集めをしてるんでしょう。ブームは直ぐ去りますよ。なんせ現代人は飽きっぽいですからね。しばらくすると部屋の隅で朱印帖が埃を被っていること請け合いです。
 でも本物?の御朱印集め、つまり御朱印集めの極めつけは掛け軸です。(ってなとこで次回乞うご期待)

続々目玉焼き

 12個の目玉焼きを2回に分けて大きなフライパンで焼きます。最初のうちは個々の卵がくっつかないように焼くのが大変でしたが、利用者さんに教えてもらいながら焼いているうちに柔らかすぎず、堅すぎず見た目も美味しそうな目玉焼きが作れるようになりました。
 ある朝どうした訳か12個の目玉焼きのひとつがフライパンに落とした瞬間に崩れてしまいました。レストランであればこれは商品としてお客様に出せませんから新しい卵で焼き直しするんでしょうが、グループホームですから食材は無駄にはできません。まっ自分で食べるからいいかって思いながら当番の利用者さんに盛り付け配膳をお願いしました。ところが主婦の経験がある利用者さんが当番だったので、崩れた卵焼きのお皿がその利用者さんのテーブルに配膳されているではありませんか。思わず「お母さんだね」と言いました。感謝です。そんな温かい心を持った利用者さんがいるグループホームを誇りに思います。他人を思いやり、他人を優先する心はまさしく「深敬(じんきょう)」の精神です。何気ないことですが、自分本位になりがちな社会にあってちょっとした心遣いがひとの心に潤いを与えるのです。
 ようやく目玉焼きの本題を書き終えることが出来ました。さて、次はどんな話題になるで。

目玉焼きの続き

 大変お待たせしました。目玉焼きの続きを書かなければと思いながら、年度初めの慌ただしさにかまけて、放っておいてすみませんでした。
 夕食は職員さんが準備して下さったものを利用者さんと一緒のテーブルでいただきます。時に私の好物を提供してくれます。暖かい配慮に心から感謝しています。他の施設では考えられないことだと思いますが、ここでは1年中手作りの糠味噌が食べられるんです。夕食には必ず漬物が出ます。しかも利用さんが
毎日毎日糠床を素手で混ぜて、キュウリ、ナス、蕪、大根と季節の野菜を漬けています。法人にはいくつもの施設がありますが、おそらく手作りの美味しい糠味噌が提供されているいるのはこのグループホームだけだと思います。文字通り「おふくろの味」ですね。
 さて、いよいよ目玉焼きです。私が泊まる翌朝は金曜日です。つまり、金曜日の朝食の準備をするのも当直の仕事です。今は、利用者さんが11名ですので私を含めて12名分の朝食です。食材は、職員さんが準備をしてくださっているので献立に従って調理するだけですが、結構時間がかかります。段取りを覚えるまで大変でした。卵料理は目玉焼きかスクランブルエッグが献立で指示されています。なんだ、スクランブルエッグ(炒り卵)か~って思われた読者もおられるかと思いますが、スクランブルエッグを美味しくしあげるのも大変なんですよ~(まだ続きます。乞うご期待)

目玉焼き

 法人は現在4つのグループホームを開設している。この1月ひとつのグループホームの世話人さんが急に辞めることになり、代わりの世話人さんを探したがなかなか見つからず、急きょピンチヒッターを買って出ることになった。人材難はグループホームにも及び所謂引きぬきが横行している。少しでも条件が良いところで働きたいと思うのは人情である。もう義理云々が通用するような社会ではない。
 我が法人のグループホームは基本夜間も職員が常駐して非常時に備えている。そのグループホームは定員10名、特に介助を必要とする利用者さんはいないので、夜勤ではなく当直である。開設して8年ほど経っているのでグループホーム内で役割分担がしっかり決まっていて、どのような障害を抱えていても誰もが与えられた作業を淡々とこなしている。いつもながらすごいな~と感心している。ここまで来ると長年培ってきた伝統である。共同生活に必要な規律がしっかり出来ていて誰もが与えられた当番の作業を黙々と果たしている。
 76歳の理事長がグループホーム当直なんて他の法人では考えられないと思う。非常事態に陥ったときその部分を担えることはとても有難いことである。誰がどう思うかなどいった思惑は無用である。(まだ途中です)

山頂を極める!

 山頂に近づくにつれてあたりが白み始め、日の出に間に合わないのではないかと心が焦る。歩みは相変わらずかたつむりの如く遅々として進まず。後ろを振り向けば人の列。ようやく石の鳥居が見えたと時は思わず心の中で叫ぶ、ついに上ることが出来た!~と。この一瞬の感動のためにひたすらよじ登る。頼れるものは自らの意思と脚力。お金であがなえない世界が山登りだといつも思う。日の出を見ることもさることながら頂上を極めるという達成感のために山に登る。日の出にさほど感動を覚えない。
 山頂からの眺めは意外と眼下に広がる景色が近い。
 下りはだらだら坂を文字通りだらだらと下る。麓に着く頃は心も体もすっかり弛緩してしまって歩みもままならない状態。チャンスとばかりおじさんが近づいて来て、駐車場までまだ大分ありますよ!馬に乗って行くと楽ですよと悪魔のささやき。誘惑を振り切ってひたすら平坦な道を進む。これから登る人の群れに出会うと、昨日の自分の意気込みを思い浮かべる。この人たちも昨日の自分のような体験をするんだ!自分は再び富士山を目指そうと思うだろうか?あの苦難を知らなかったからこそ挑戦したが、次はあるのか。私に課せられた目標になるだろう。
 読者にお勧めする。是非富士登山に一度挑戦してみて下さいと。車社会にあって、歩くという動作を回避して楽な手段に浸かり切っている怠惰な日常。己の意思を試す機会を作って下さい。そして子供さんのいる方は、是非子供さんを連れて登ることをお勧めします。子供さんの根性を見極める良い機会にると思います。自分の根性も・・・

75歳で富士山初登山

 2018年7月29日、30日に富士山に初めて登った。前日の28日にかじか寮の納涼祭が計画されていたが、生憎の台風で延期になったので急遽登ることにした。後から考えると余りにも無謀な行動だった。午後3時に5合目を登り始めて4時間、ようやくあたりが夕闇に包まれる頃山小屋に到着した。とはいっても予約をしてなかった!なんと無謀な!でも幸いは我に味方してくれました。前日の台風でキャンセルが続出、予約なしでも泊まることが出来たんです!
 午後8時就寝。頂上まで4時間かかりますよとの山小屋のお兄ちゃんの話で0時に起床して出発して頂上に向かうことに。寝たと思ったらもう起きるのか~ってな具合で朝飯もそこそこに出発。真っ暗がりの岩の道を鎖に掴まったり踏ん張ったりと歩みは牛の如く、否(いや)蝸牛(かたつむり)の如く(堀内孝雄の「惜春会」:かたつむり登れや登れ富士の山・・・を思い浮かべつつ)。驚いたことにツアーの一行がぞろぞろと・・・人、人、人である。霧が出始めヘッドライトはしていても前は見えず、霧雨が吹きつける中、強風で飛ばされないように足をしっかり踏ん張り、文字通り一歩ずつ大地を踏みしめるという単純な動き。これほどの困難が待ち受けていようとは・・・途中でリタイヤする人も。高山病にかかりやむなく諦める人がいても不思議じゃないですね。(以下次号)

5年2ヶ月

 身延山の麓に住まわせていただく機会を得て17年の月日が流れた。特に一大決心をしたというわけではないが、70歳を迎えた平成25年9月に身延山に登ってみようと思った。爾来、文字通り雨の日も風の日も週に1度身延山に登り続けている。単純に計算して年に50回、5年が過ぎた。当初90分で登ることが出来た上りも、年を重ねるに従って100分になり、110分になり、今では120分かかる。しかし悔しさはない。むしろ体力の衰えを受け止める良い機会だと思っている。
 最初の頃は好奇心からか職員が一緒に登ってくれたが、1,2度登ると登らなくなり結局は一人で登ることになった。標高差は763mで、さして高い山ではないがさりとてハイキング気分で登る山でもない。他の人はどうか知らないが、私個人は山登りはひとりの方が良いと思っている。唯ひたすら黙々と文字通り一歩ずつ大地を踏みしめるという動作は、地に足が着いていると感じる。山登りは自分との戦いでもある。途中で諦めることなく頂上を目指す。そして誰もが感ずるように、頂上に到達したと時の達成感は本人しか味会うことが出来ない筆舌では表せない感情である。
 1回の登山で往復25、000歩である。距離にすれば5km足らずであるが坂道の5kmは年老いた身には結構ハードである。(以下次号に続く。)
 
TOPへ戻る