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社会福祉法人 深敬園
〒409-2524
山梨県南巨摩郡身延町身延3637
TEL.0556-62-1134
FAX.0556-62-1135
・障害者トータルサポートセンター
      かじか寮 
・就労継続B型 
      Bread&Butter
・居宅支援サービス
      福祉ネットスマイル
・居宅介護支援事業所
      かじかサポート
・訪問看護ステーション
      かじかナースステーション
 
      
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今月の言葉(2018年度)

4月の言葉 夢は叶えるためにある 夢の実現のために先ず一歩踏み出すことだ 夢が叶うかどうかは君次第だ 困難にめげることなく粘り強く進むことだ

 毎月書いている「今月の言葉は」、常に人生の生き方についての私(理事長)なりの考えを述べたものである。長い人生であるから幾度となく失敗もしたが、常に今ある自分は失敗から学んだ結果だと思っている。失意の底にある時は、じっとこらえてひたすら耐えること。「忍耐」を自らに課することだと思う。他人のせいにしないこと。失敗は自らが招いた行いの結果であると捉えること。私なりの生き方の底辺に流れているのは、何故自分はこの世に生まれてきたのか。自分の使命は何なのか。何故今ここにこの歳まで生かされているのか・・・といった思いである。生命は決して自分の意思で存在するものではない。天命という言葉を使ったこともある。今この職にあるのは天命で有り、従ってこの職を天職と思っている。
 天職を全うするためには「夢」が不可欠だと思っている。ある時、「人生100のリスト」という言葉に出会った。自分が目指す人生を生き抜くためにやらなければならないと思うことを100挙げて、ひとつずつクリアすること。100という数が多いと考えるか少ないと考えるか人それぞれだと思うが、人生はとにかく目標を立てることが大切なのである。ある意味、人生は夢である。夢がない人生は味気ないものである。夢を決めたことにより生きる意味を見い出し、夢の実現の一歩を踏み出す。他人(ひと)の夢ではなく、自らの夢である。どんな夢であろうと大切な一度限りの人生をかけるのであるからいかなる困難が襲いかかろうと夢の実現のために粘り強く進むことが大切である。

5月の言葉 絶対にしてはならないこと マイナス要素を探し出すこと

 障害者の施設を始めて25年が経ちました。障害者の支援に関わる職員に常にお話ししていることは、やる前から「無理です。出来ません」という言葉を使わないということです。これは障害者施設に限ったことではありません。私たちの生き方にも関わるとても重要なことなのです。
 そもそも「無理です」、「出来ません」という発想は、はなからやる気がないマイナス思考です。課題が与えられら時、その課題を解決すためにあらゆる方法を思考し、問題点を洗い出し、出来るための方策を見つけ出すことです。
 障害を持った利用者さんの手となり足となり、時には頭となって考えるのです。支援する職員が日常生活を送ると同じように利用者さんにも人生を楽しんでもらうことが利用者さんたちの生きる権利
なんだと思います。その実現には大変な努力が必要です。でもそのために私たちはこの職場で働かせていただいているんだということを常に心に持ち続けることです。

6月の言葉 容易な道と困難な道 あなたはどちらを選ぶ

 人生を歩んでいく上で常に私たちは選択に迫られる。日々の仕事においては勿論のこと私生活においても何をどうするかは自分で決めなければならない。ただ、仕事では自分で判断に困ることは上司に相談することで解決が出来る。上司も判断に困ることは管理者に相談して決める。組織に所属する間はさほど困ることはない。しかしながら、自分の人生に関わることは最終決定は自分の責任において下さなければならない。他人に相談するということは、もし思うように行かなかった場合多少なりとも相談相手の責任にするという責任回避の姿勢が見え隠れする。
 大人になると言うことは選択した責任を自分が負うと言うことである。これは人生にどのような心構えで臨むかということにもなる。常に他人に頼る習慣が身についてしまうと困難に出会ったときなかなか決断が出来ない。自分一人で考え、判断し、決断を下すという地位に就いたとき相談する人がいないと独断になってしまい判断を誤りやすいことも事実である。でも最終の決断は自分が下し、その結果責任は自分が負うことで他から信頼され、大きな仕事も出来ることも事実である。
 施設を経営していてつくづく思うことは責任をとることの難しさである。結果が良ければ誰もが褒めてくれるが、結果が悪ければ避難の的になる。振り返ってみると私の生き方は、どちらかというと敢えて困難な道を自ら選んで歩いてきたような気がする。だからなかなか理解してもらえない。これは困難な道を歩み、失敗しても起き上がってなおまた進む人生を歩んで来た人でないと真に理解を得ることは難しいと思っている。
 私は多読ではないが、読書が好きである。だから本から得る人生の生き方に感動し、その生き方を見習いたいと常に思っている。自分の人生で実際に体験できることは極々限られている。読書によって他人の生き方を知り、共感することはとても大切なことだと思っている。そして成功した人は失敗にめげず、再び立ち上がりそのたびに人間が一回り大きくなって行く。人柄は一朝一夕に出来上がるものでなない。気の遠くなるような年月の努力の結果である。辛酸をなめて人は大きくなる。容易な道を選ぶということは辛酸を避けようとする心がなせるわざであり、それもまた人生ではある。いづれを選ぶかはあなたの自由である。あなたの人生なのだから。ただ人生は一度限りであることも事実。悔いのない人生を送りたいと思う。

7月の言葉 線路の上を走る人より 線路を敷く人を目指す

 7月に入り早々と梅雨明けが宣言された。今年も暑い夏になりそうである。35℃なんて聞いてもさほど驚かなくなって来ている。
 当法人は、就労支援事業でパンの製造販売を行っている。7月に入ると、”暑いとパンが売れません”と毎年同じ言葉が繰り返される。だったらどうしたら良いの。全員が線路の上を走っていて、線路を敷く人がいないとそこから先は行き止まりである。線路を敷く仕事は困難を極める。道がないところに線路を敷くんだから当然である。
 先日、「ガイアの夜明け」というテレビ番組を観ていたらカレーを開発する話が語られていた。私はあまりテレビを観ない人の部類に入ると思うが、基本的に関心のある番組を録画して観るようにしている。「カンブリア宮殿」、「ガイアの夜明け」はなるべく観るようにしている。事業展開のヒントを得ることが出来るからである。
 大塚食品が「ボンカレー発売50周年」を期して、ボンカレーをカレーの本場インドに展開しようというプロジェクトを追った番組だった。組織は常に線路を敷き続けないと衰退の道をたどることは当然の理である。常に未知の分野に挑戦するというチャレンジ精神が組織の中にないと組織はよどむ。インドにボンカレーをというミッションは会社にとっては勿論のことこのミッションを担った社員にとってもやり甲斐のあるミッションであることは間違いない。食文化を変えるということはとてつもないエネルギーと時間を要する作業だと思う。
 組織は困難なミッションをとおして人材を育て、将来会社を背負うという大きな役割をもったミッションであることは間違いない。当法人にあっても勿論、線路の上を走る職員は必要であるが、線路を敷く人を目指して欲しい。

8月の言葉 唯ひたすら他人の批判する自分を恥じ ひょっとして自分に過ちがあるのではないかと思え

 人という者は嫌な動物である。やっかい事が生じると十中八九自分の責任ではないと主張し、自分以外の存在の責任にする。人(他人)の幸せや喜びを妬み悪口を言うことでやっかみを解消する。口を開けば見てもいないのに人(他人)の噂話をしたり批判をし悪口を言うことに無駄な時間を費やす。なんと生産性のない行為であろう。そんな行いをする自分を恥じ、そんな自分に不快感を持つことがとても重要である。年齢のせいなのか、最近廃屋が放置されている状況や庭に雑草がはびこり放置されている家を見ると嫌な気分になることが多くなった。廃屋の持ち主はどんな心の持ち主なんだろう。この家の主人はこの草だらけの庭をどのように思っているのだろう。心に雑草が生えてしまうと不快という感覚まで麻痺してしまうんだろうか。同様に自分の心に雑草が生えてしまうと他人批判し、過ちを他人のせいにすることを何とも思わなくなってしまう。成功を自分の功績とし、失敗を他人のせいにする。我が法人の職員に求めるのは「不快」の念を感じるために根気よく心の雑草を抜く作業を続けること。自分の過ちを素直に認める潔(いさぎよ)さを持つこと。責任ある地位に就くと言うことは部下の過ちを部下のせいにするのではなく、ひょっとして自分にも責任があるのではないかと考えることだと思っている。我が法人は、決して自分の非を認めず、他人の批判をする人が法人を背負って立つことはないと断言する。

9月の言葉 有言実行

世の中に出てから半世紀を経ようとしている。僧侶を職業として生きて来たから、生き方として長い間「不言実行」を旨として世の中を渡って来た。何度も窮地に陥り、その度に母親から(父親は小生が35歳の時に遷化した。)人(他人)に解ってもらうにはしっかりと話さなければ誤解されると注意された。しかし若かったこと、社会をよく知らなかったことと相俟って、「不言実行」こそが最上の生き方だと信じて生きてきた。敢えて自分の行いを吹聴しなくても人は解ってくれるからと高をくくっていたために誤解されたり悪意に取られたりとさんざんな目に遭って来た。
 人間の生き方には、「有言不実行」、「不言不実行」、「有言実行」、「不言実行」と4つのパターンが考えられるが、やはり理想は「不言実行」である。心の中で決めたことを誰に言わずとも実行していれば人はいずれ解ってくれる。ところが、「不言実行」は世の中のほとんどの人が善人であることが必須条件になる。「正直者が馬鹿を見る」社会にあっては「不言実行」は嘲笑の的になることさえある。
 「不言不実行」は、公言しないから実行しなくても何も問題はないが何をしているのか解らない生き方である。実害があるのは「有言不実行」である。大風呂敷を広げて実行しない。政治家の選挙公約がその最たるものである。卑近の例は、禁煙、禁酒宣言である。止めると言って止めた例は聞かない。本気で止めようとする人はやはり「不言実行」でなければならない。心の中で決めたことをとやかく公言せず止める。意志の強さが求められる。欧米では喫煙者、「肥満」は出世できないと聞く。組織のトップには意志の強さが求められるからであるる。
 法人を経営するようになって17年。やはり「不言実行」では駄目だと思う。組織を動かすには、明確に目標を掲げ、実行することで職員は安心し、期待し、誇りさえ持てるようになる。
 「人生100リスト」。年の初めに今年実現したいことをリストアップし、実現に向けて努力する。人の一生は長いようで短いことは、1日が、1週間が、1月が、1年が矢の如く走ることで体感している。カレンダーを見て、既に1年の2/3が過ぎ去ったことに慄然とする。100リストのうち今年はいくつ実現できたか、「有言実行」によって確実なものにしていこうではありませんか。

2018年10月の言葉 生きるということは やろうとしない自分との闘いである

 人生とは「人が生きる」と書く。この世に生を受けるということの意味は永遠の課題であると思う。自分の意思で生まれて来た訳ではない。気がついた時には既に存在していて、自立するまでは両親、家族、地域、学校で生きる方法を教えられる。最初の関わりは母親であり、父親、兄弟、祖父母、隣近所、地域社会、学校と次第に関わりの輪が広がり、自立への準備をするのであるが、自立の時期は100人100様で定まってはいない。学校時代に自立する人もいれば成人になっても自立できない人もいる。縁を得て、私達社会福祉法人の職員は自立困難な人達のお世話をさせていただいている。事業によっては自立へ向けての支援をする場合もある。
 さて、私自身の人生は何なんだろうとしばしば立ち止まって考える。前述したように人類永遠の課題であるから、未だ結論は出ていないのは当然である。おそらくこの世を去るまで解らないとは思っている。しかし、解らないからといって思考を停止してしまっては駄目だと思う。解らないからこそ考え続けることが必要ではないかと考える。これはあくまでも私個人の考えであり、常に自分自身の中で葛藤していることである。人生は一度きりである。この歳になれば残された時間は少ない。だからこそ悔いのない日々を送ろうと自分自身に言い聞かしている。もう十分やったではないかと思う自分と、いやまだまだやれることがあると思う自分のせめぎ合いである。
 今月の言葉シリーズは、我が法人の職員に向けての応援歌である。このブログを楽しみにしている職員もあると聞く。先月の言葉は「有言実行」でした。言葉に出すということは、実行することです。言葉に出すことで「やろうとしない自分」の退路を断つこと。やらざるを得ない状況を自ら作るんです。社会は益々生きづらくなって来ています。他人との関わりを持とうとしない社会。そんな生きづらい社会の中にあって我が法人の職員は積極的に地域社会との関わりをもって欲しいと思います。そのためには自らが積極的に生きることです。やろうとしない自分と闘い、地域社会において頼られる存在になることを期待しています。

2018年11月の言葉 仕事というのは金儲けじゃない。人の助けになることだ。

 仕事というのは金儲けじゃない。人の助けになることだ。人が喜ぶ顔を見るのは楽しいもんだ。金は後からついてくる。お客様を大事にしない商売は滅びる。
 障害者の施設を経営して今年で25年を迎えました。私自身もこの仕事を受け継いで17年が経ちました。馬齢を重ねること75年。この間には様々なことがありました。「禍福あざなえる縄の如し」とは古諺なれどもいつの時代にも通用すると実感しています。社会福祉法人は地域社会に貢献するものだと。国の指針が示されて数年。我が法人は創立の精神「我深敬如」(がじんきょうにょ)の言葉を礎に常に地域社会に貢献する存在であり続けていると自負しています。私たちに求められることはどのようなことでも受け止める。損得を抜きにして仕事をすることで信頼され、信頼されることで次の仕事が与えられる、と確信して仕事をしています。新しい職員を採用しようとして面接するとき、いくらいただけますかとあからさまに聞いてくる人がいます。そんな人は長続きした試しはありません。高給を求めて職場を転々とする人は常に不満を抱きながら仕事をしている人だと思います。先ずは法人の職員として信頼される存在になることです。なければならない存在になったとき満足いく給料が得られます。福祉の仕事は割に合わないと言われます。それは外から見た薄っぺらなもので、当法人の職員は介護という仕事が好きで働いている人がほとんどだと確信しています。そんな姿に感動して、経営者として世の中の偏見を払拭すべく努力しています。ぼつぼつ冬のボーナスに時期です。この法人に勤めていて良かったと思えるよう奮闘しています。

2018年12月の言葉 Say yes to every oppotunity(機会が与えられたら迷わず“はい”と言うべきです。)

 私たちは何のためにこの世に生を受けたのか。このことは今月の言葉の中で繰り返し繰り返し述べてきました。仕事の選択、決断は自分の意思でします。しかしその仕事を選択したときは天命だと受け止めることが必要です。法人の最高責任者としてこれまで沢山の職員の採用に関わってきました。3日で辞める人もいれば、5年、10年と勤め続けている職員もいます。私達は他人と比較して生きているんだと思います。同期の職員がリーダーになり、主任になると心穏やかではありません。給料はどうなのか、ボーナスはどうだったのかいつも気にしながら仕事をしています。しかし他人との比較ではなく、自分の人世をしっかり生きることが大切です。そしてチャンスが与えられたとき「はい」と言える実力を身につけておくことです。そのためには見えないところで努力をすることです。他人を羨む前に自分自身が納得できる努力をしているのか。人生は自分との闘いです。「克己」おのれの怠惰な心に打ち勝つ強い精神力が必要です。今月の言葉はマクドナルド日本法人の社長カサノバさんの言葉です。低迷していた業績をV字回復させた強い意志と並々ならぬ努力がこの言葉に表れていると思います。チャンスは自ら引き寄せつかみ取るものです。

2019年1月の言葉 何かが変わるきっかけになるは 人との出会いだ 人との出会いを大切にすることで 人は大きくなれる

 人は自分の力だけで生きていくことは出来ない。たとえ山の中で自給自足するにしても他の存在の命を犠牲にしなければ一瞬たりとも命を長らえることは出来ない。私はたまにしかテレビを見ないが、人が物を食べる場面を見るのがとても嫌(いや)である。食べると言うことは他の命を食べるということである。厳粛であるべきだと思っている。食べきれないほどの食事を前にして大声で騒ぎ立てながら口いっぱいに頬張る。思わず目をそらしたくなるような光景である。日本人はいつの頃からこんな下品な民族になってしまったんだろう。
 話ははなから本題を大きくそれてしまった。そうそう、人との出会いについてでしたね。とはいっても残念ながら私自身が大きく変わるきっかけを作ってくれた出会いはなかった、と思っているのは当の本人であって存外変わってきているやもしれない。この仕事に携わって様々な出会いをいただいた。そして誠意をもって相(あい)対することで信頼が生まれ、それが次の出会いに繋がることを知るようになった。私の人生にとって大きな財産である。

2019年2月の言葉 生きがい 生きる喜び 頼りにされている  

 生きがい 生きる喜び 頼りにされている 人のために自分に出来ることをすること そのためには自分の出来ることを増やす努力をする
人口の減少により いよいよ70歳まで現役で働くことが現実味を帯びて来ました。いずれ年金の支給開始年齢も70歳になることでしょう。今月の言葉の中で繰り返し繰り返し述べてきたことは、人は何のためにこの世に生まれてきたかを問い続けて生きることです。生きがいとは何か。生きることに喜びを感じ、頼りにされているという存在でありたいと常に願い、自分の利益はさておき、人のために自分に出来ることをする。

2019年3月の言葉 過ちに寛容であれ

 才ある者は己の足らざるを知る。それ故弛まず努力する。転んでも立ち上がり 時には地べたを這ってでも先に進もうとする。
天才とまでは行かないまでもひとかどの人(他人よりもひときわ優れている人)は、自分がどれほどの能力があるかわかっているから慢心もしないし威張りもしない。それ故足らないところを補うために人知れず努力をしている。人間である限り失敗もするし、間違いも犯す。世の人から蔑まれ、罵声を浴びせられようと己の信念を貫き通すことが必要である。
 今の世は失敗は許されない。ひとたび間違いを犯すと二度と立ち上がれないほどたたかれる。間違いを許す寛容さがなくなると誰もが縮こまり、おおらかさがなくなり、いつもピリピリとしながら生きなければならない。誰しも過ちは犯すものだと認め、過ちを犯した人は言い訳せずに認める潔さと、その過ちを深追いせず許す寛容さが必要である。
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